転がるひと
恋月 ぴの

(一)

明治通りと靖国通りの交差する
新宿五丁目交差点から
ABCマートの軒先に並ぶスニーカーでも品定め
数メートル歩いたところに
スターバックス新宿三丁目店はあって
いつものように通りに面している席へ陣取り
ダブルモカマキアートをゆっくり啜る

新宿御苑辺りでも秋の気配を感じられるようになり
まだ午後5時を少し回ったぐらいなのに
夕闇は容赦なくビルの谷間に押し寄せ
行き交う人々の歩調が忙しくなったのに気付く


(二)

それでもこの界隈は目覚めたばかりで
辺り構わず悪態を吐くアルコール中毒患者のように
だらしなく開いた扉の奥では若い男たちの働く気配がする

おいらもナジャの店先を掃き清めると
小さな仏壇の前に掌を合わせ開店準備にとりかかった


(三)

「会員制バー・ナジャ」
会員制と名乗ってはいても
何かしらの取り決めとかある訳では無く
その日の気分で
そして雰囲気で断わったりするだけのこと

コミケで仕入れた同人誌にでも感化されたのか
ときおり二人連れの女性が飛び込んでくる

彼女らの望むような美少年なんて
少なくともおいらのまわりでは見かけないし
ましてや美少年同士の儚い恋物語なんてある筈も無い

此処に集うのは翼をもがれた堕天使と
人間になりそこねた醜いアヒルの子が一羽


(四)

いずみとの出逢いについて思い出してみる
あれは霙混じりの冷たい雨が降りしきる夜だった
まーちゃんの知り合いに連れられて
この店をはじめて訪れた
出版記念パーティの流れだとかで
纏った黒いコートの下には
サテンのような肌合いの黒いスリップドレスを着ていた

「ひよこさんなのね」

いずみは自らをキキと呼んで欲しいと言った
黒いドレスの似合うおんな
マン・レイの愛人
藤田の描いた乳白色の肌を持つおんな
キキ
男の股間をまさぐるような眼差しと
利発すぎる微笑み
恥じらいを演じることのできるおんな
キキ


(五)

それからキキは足しげくこの店を訪れた
ひとりだけのときもあったし
女王様きどりで下僕の男たちを従えて
下品な猥談にも怯まず大胆に長く白い足を組替える

去年の大晦日
恒例の年越しパーティが引けたあと
いずみ、まーちゃん、ちーママ
そしておいらの四人で初詣に出かけた
キキとまーちゃん
古くからの知り合いのようで
それでいて微妙な距離感を保っているのに気付く
肩が当ったとしても遠慮する訳でも無く
たとえばそれは
長年連れ添った夫婦の厚かましさにも似て
四人は花園神社の人波にもまれながら
やっとのことでお参りをすませた

「いや〜ん、大凶だってぇ」

まーちゃんがおみくじを手に大声で叫び
どれどれと覗き込んだキキの笑顔

恋人同士
傍から見ればそんなふたりにも思えた


(六)

開店準備を終えたナジャの店内に
マルのピアノソロが流れ
おいちゃんとふたりだけの大切なひととき

居抜きで引き継いだ黒いカウンターの上には
どんぐりの実ひとつ

まーちゃんの掌から転げ落ちたはずの
どんぐりの実
唸り声にも似た音がして
あの闇はこの店に横たわる深い闇と繋がっている


自由詩 転がるひと Copyright 恋月 ぴの 2008-09-26 21:22:01
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