潮宿
田代深子


赤土の皿に赤い身
濃い溜まり醤油と
潮気かおる雨宵

ここでしか漁れんもんやから

引き戸かたつく飯どころ左隅で
ちらちら横目くれられビールを半分まで
流し込む
わぁ美味しそう など身に馴染まぬ嬌声
箸でふれ その光る赤い身を醤黒に
よごす

そこは
岩むくろうちすえる潮の際
岬に切れ込む驟雨をものともせぬ時速
八〇キロの軽トラックに追われて
ワイパーもうろたえた 二の腕がしびれ
弛緩する そのまに
ガードレールをひき裂き跳ぶ一齣
が幾度かまたたく 逆光にすさむ海
の ひらける またとじ また
ひらく

あれは
浪か 墜ちれば喰いつくされる黒潮に
ひきこまれ腕のつけね股のつけね
頸に脇腹に群がり喰らいつくすは
人魚たち いや 人魚に牙はない
はず 南の海にはいないはず
牙があるのは
あれは
〈人魚ではないのです〉                   *

あれら不細工やし仏頂面やし
泣きもせん

童顔のおやじは小皿を差し出し
言わなかったか

それ喰ろたら
えらい長生きや

吹きすさむ潮の際の飯やで赤い身を
呑みくだす喉は潮闇に
点るのか赤く あるいはとも喰いの
苔色

そんな
酔いもたいがい 潮かおり 雨音か
浪音か ききもわけぬ陸者の箸先に
なんの馳走 と きくもかなわず
きょう宿る車中の潮闇で 喉を
撫で
紙巻を点す




                 * 中原中也「北の海」より引用

                        2004.5.25




自由詩 潮宿 Copyright 田代深子 2004-07-29 00:51:07
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