ひよこなひと
恋月 ぴの



玉子の親じゃ、ぴよこちゃんじゃ、ぴっぴっぴよこちゃんじゃ、アヒルじゃぐぁーぐぁー。



(一)

「兄ちゃん、コイツをくんねぇ」

カーバイトランプに照らされた
みかん箱のなかで
ぴよぴよと行く末を案じ
心細げに鳴いていた黄色い群れのなかから
おいちゃんは
ひょいとおいらを掴みだした

おいちゃんの掌は
根っからの職人らしく
それでいて優しさに満ちていた


(二)

おいちゃんの家は台東区根岸にあって
代々通底器を作ってきた
仕事場の奥には
磨き上げられた通底器
真鍮板を叩いて成形した曲線は
まるで人肌のように滑らかで
どこからともなく唸り声にも似た音がして
おいらの鼓膜を揺さぶった


(三)

縁日で売られていたおいらを
おいちゃんは
家族と分け隔てなく育ててくれた
ひよこのくせして卵焼きの大好きなおいらのために
ほくほくの厚焼き玉子を作ってくれた

「うめぇかい」

卵焼きにぱくつく
おいらの姿に満足げな笑顔をみせていた


(四)

「どうでぃやってみるか」

おいちゃんはそう問いかけてくれた
見よう見まねの職人修行
とんとん木槌で真鍮板を叩いては
恐る恐る差し出してみても

「まだまだひよっこだぁ」

おいらに背を向けたまま
人肌とは程遠い出来の真鍮板をつっかえした


(五)

「石の上にも三年って言うじゃねぇか」

とある超現実主義者から注文のあった通底器
大切な仕事をおいらに任せてくれた
その日から仕事場に篭り
精魂込めて真鍮板と向かい合った
血豆がつぶれようと
寝る間も惜しんで真鍮板をとんとん叩いた

ひよこだって
ひよこだって

おいらは心のなかで何度も叫んだ


(六)

新宿二丁目に会員制バー「ナジャ」は在る
カウンターだけの小さな店
開店に向けて
氷屋から仕入れたオンザロック用の氷を砕く

昨夜は久しぶりにおいちゃんの夢を見た
「涅槃で待っているから」
相変わらずおいらに背を向けたまま
夢の中で優しい言葉を囁いてくれた気がした


(七)

有頂天になりすぎていたようだった

精魂込めて作り上げた通底器
超現実主義者達の間で一躍評判になった
一点の曇りもなく叩き上げた真鍮の作り出す曲線を
ジョセフィーヌの柔肌のようだと褒め称えた

やがて海外からも注文が舞い込むようになり
一人前の通底器職人になったと勘違いしてしまった

そんなある日
おいちゃんと些細な事で口喧嘩してしまい
売り言葉に買い言葉

「ひよこはひよこでも
醜いあひるの子ぢゃねぇか」

おいちゃんの怒鳴り声に
おいらは根岸の家を飛び出してしまった


(八)

「ぴーちゃん寂しくないのぉ
おいちゃんのお葬式にも行けなかったしぃ」

まーちゃんが擦り寄ってきながら
酒臭い顔を押し付けてきた

他の店から流れてきたお客で
「ナジャ」はそこそこの賑わいを見せている

「この店自体が通底器だから」

そんなおいらの言葉に
「ぴーちゃん、通底…って何よぉ」
しなを作りながら問いかけてきたけど
それ以上は気にするでも無く
まーちゃんは何杯目かの水割りに手を伸ばした


(九)

ちょっとした更衣スペースの奥には
小さな仏壇
線香の香りは疲れきった心を癒し
お供え物にはおいちゃんの大好きな剣菱と
あの懐かしい厚焼き玉子

「これから会いに行くからね」

午前四時
唸り声にも似た音がする通底器に身を投げた




自由詩 ひよこなひと Copyright 恋月 ぴの 2008-09-12 21:38:33
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