「僕の村は戦場だった」を傍らに置いて
千月 話子

  「愛あるいは天使のような」

どこまでも続くかのように広がる
白樺の森を抜けて 僕は行くよ


アナスタシア 揺り椅子で眠る
君の失った右足の膝下に
赤い 赤い 靴を置いた
はにかんだ笑顔が空に登る
さようなら 僕の可愛い・・・


朝靄に浄化された白い森を
男と女が 隠し絵のように駆け抜けて行く
霧がレース状を形取ったものを
アムール(生まれたばかりの)と呼ぶのなら
彼らに纏わり付く 甘い濃厚な花の香りを
エロス と呼ぶのだろう


僕達のアムールは 未成熟のまま
戦場の黒い煙の立ち込める
汚れた空へ消えて行ってしまったのだけれど
爆風で脱力した僕の右手に握られ焼き付いた
君の髪飾りの淡く色の残った小さな花束を
生きた左手が力一杯持ち上げて
静かに揺り 振る
僕たちを 許してくれますか?


*******


美しい村だった
子供らの靴音を弾ませた歩道は
山のような瓦礫に覆われ
高く鳴く小鳥の巣が
燃えた風に散り 命も無くなって



呼び鈴と扉だけが残った家の
リビングという所から
初老の男が現れる
堅いパンとコーヒー
家族の写真を連れて



火にかけられた小鍋から
湯気が立ち登り
アムールが そこから生まれ続ける
彼はここを 決して離れない


*******


湯浴みする僕の細い背中を
湿った土色の軍服を着た男が
何かを探すように じっと見詰める


僕の翼は何処へ行ってしまったのだろう
折れた小鳥の羽のように
ズキズキと背中が痛くて
何度も 何度も
見えない血を洗い流した


明日僕も この男と同じ格好をして
手も足も 背中さえ汚して
君とは違う場所へ
行ってしまうのだろう
君に教えてもらった
美しい異国の言葉を
ひとつ 心に持って


この 堕ち行く戦場で
殺める時も救われる時も
お前の名前を呼んでいた


アムール・・・
アムール・・・




(僕達の村が戦場だった頃生まれた お前の名前)




 


 


自由詩 「僕の村は戦場だった」を傍らに置いて Copyright 千月 話子 2008-08-30 00:12:20縦
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