童話「なないろのつる」
チアーヌ
ゆうなさんは、いつもと同じ道を歩いているはずでした。
だから、いつのまにか、自分が見たことのないところにいるのだと気がついたときには、本当にびっくりしました。
ゆうなさんは困ってしまいました。
もう会社に戻らなければいけない時間なのです。
ゆうなさんは、大きなため息をつきました。
そして、肩にかけていた、重い重いカバンを、そっと地面に下ろしました。
カバンの中には、化粧品のビンや、鏡のついたコンパクトやなんかが、たくさん入っているのです。
ゆうなさんは、もう十年も、化粧品のセールスレディをしているのでした。
ゆうなさんは困り果て、きょろきょろと辺りを見回しました。
もう、日が暮れかけていました。
すると、道の向こうから、誰かが歩いてくるのが見えました。
ゆうなさんはうれしくなりました。
その人に、近くの駅までの道を、教えてもらえると思ったからです。
でも、近づいてきたのは、なんと、大きくて、真っ白な鶴でした。
ゆうなさんは何度も自分の目をこすりました。そんなことが、あるわけがありません。
しかし、その鶴は、ゆっくりとゆうなさんの目の前に立ち、話しかけてきました。
鶴はちょうど、ハイヒールをはいたゆうなさんと、同じくらいの背丈がありました。
「こんにちは」
鶴が言いました。男の子の声でした。
「こんにちは」
ゆうなさんも言いました。
鶴と話をするなんて、変だとは思いましたが、他に答えようがなかったのです。
すると、鶴は、
「それじゃ」
と言って、行ってしまおうとしました。
ゆうなさんはあせって話しかけました。
「あの、ここは、どこなんでしょう」
すると、鶴は長い首をひねって、困ったように笑いました。
まるで、そのことを、あまり話したくないみたいでした。
「ところで、これは、なんですか?」
鶴は大きな羽で、ゆうなさんのカバンをふわりと撫でました。
「あ、これは」
ゆうなさんは気を取りなおし、大きなカバンを開けると、鶴に中身を見せてあげました。
鶴は目をぱちくりさせて、中をのぞき込みました。
「きれいですね。これは一体、何をするものなのですか?」
「これは、お化粧品です。これを顔につけると、色がついて、きれいになれるんですよ」
「なに、色がつく?」
「ええ、つきます」
ゆうなさんがそう言うと、鶴がばさばさと羽ばたいてダンスをはじめました。どうやら、とても喜んでいるようなのです。
「やった!やった!」
ゆうなさんがぼうぜんとしているそばで、鶴は踊りつづけています。
「ちょっとまって、鶴さん、どうしてそんなに喜んでいるんですか?」
ゆうなさんがたずねると、鶴はやっとダンスをやめました。そして、大きな声でいいました。
「実は、僕はいま、恋をしているのです!」
「恋?」
今度はゆうなさんが、目をぱちくりしました。
「そうです。相手はくじゃくの娘なんですが、このあいだ僕の気持ちを打ち明けたら、そんな真っ白な羽しかない男はいやだと言うんです」
ゆうなさんはなんといって良いかわからなくなり、黙ってしまいました。
そりゃ、くじゃくの娘にしてみたら、鶴は物足りないのかもしれません。
「そこで、です。その化粧品を使って、ぼくに色をぬってくれませんか?」
「え、でも」
「ところで、あなたのお名前は?」
「ゆうなといいます。あ、鶴さんのお名前は?」
「ぼくは鶴です。見ればわかるでしょ?そんなことよりも、ゆうなさん、どうかお願いします。僕に色をぬってください!」
「でも、あの…。わたし、そろそろ会社に帰らないといけないんです」
「それは、大丈夫です」
なぜか鶴は、自信たっぷりにうなずきました。
「こういう話になったからには、ぼくが何とかしましょう。まかせておいてください」
ゆうなさんは、しかたなくうなずきました。
ゆうなさんは鶴に連れられて、鶴の家に行きました。鶴の家は、ふつうのアパートの、ふつうの部屋でした。
「一人ぐらしなのですか?」
ゆうなさんがたずねると、
「そうですよ」
と、あっさりと鶴が答えました。
ゆうなさんはさっそく、カバンから化粧道具を取り出して、鶴の体に色をぬりはじめました。
思ったよりも、それは、とても大変な作業でした。
鶴の羽はつるつるとすべって、なかなか色が乗らないのです。
でもそこは、化粧品のセールスレディ歴十年の腕前で、ゆうなさんは、むずかしいお化粧を、なんとかこなすことができました。
何時間かかったのか、ゆうなさんにはわかりませんが、窓の外はまっくらになっていました。
「できましたよ」
ゆうなさんが、汗をふきながら言うと、鶴は立ち上がり、ガラス窓に自分の姿をうつし出しました。
「これは、すごいや!」
鶴は感動したようすで、羽を開いたり閉じたりしながら、自分の全身をながめていました。
鶴は、七色の鶴に変身していました。虹をイメージした色合いで、羽を広げると、あまりのカラフルさに、見ているこちらもクラクラしてきそうでした。
「お風呂に入ったら、せっかくの色が取れてしまいますから、早めに彼女に会いに行ったほうがいいですよ」
ゆうなさんがそう言うと、鶴はうなずいて、窓から飛び出して、はばたいて行ってしまいました。
ゆうなさんは、つかれてしまったので、その場に横になって、少し眠りました。
ゆうなさんが目をさますと、部屋の中は明るい日差しに包まれていました。
「おはようございます」
声のするほうを見ると、そこにはすっかり白い色に戻ってしまった鶴が、暗い顔をして、コーンフレークに牛乳を入れていました。
「あれから、どうだったんですか?」
ゆうなさんがたずねると、鶴は悲しそうに、
「不自然な男は、もっと嫌だって言われました。しかたないですね」
と、言いました。
ゆうなさんは、なんと言ってなぐさめてあげたらよいのかわからず、とりあえずコーンフレークを口に運びました。
「でも、ゆうなさん、ありがとうございます。ぼくの無理なお願いをきいてくれて」
「いいえ。でも、わたしも、鶴さんには、その真っ白な羽が一番似合っているような気がします。色がついていても、すてきだったけれど」
ゆうなさんがそう言うと、鶴は笑って、
「ありがとう」
と、言いました。
そして、少しはにかんだように、
「ゆうなさんって、やさしい人ですね」
と、言って、ゆうなさんを見つめました。
それから鶴は約束どおり、ゆうなさんを自分の背中にのせ、空を飛んで、駅まで送ってくれました。
誰一人いない、みたこともない駅でした。
鶴の買ってくれたキップを持って、やってきた電車に乗りこんだ瞬間、ぱちんと頭の中で音がして、ゆうなさんは、まわりの空気がすっかり変ったことに気がついたのです。
そこは、いつもの電車の、見なれた風景だったのでした。
ゆうなさんは、ちゃんと、もとの世界に戻ることができたのです。
そのあと、ゆうなさんには、もうひとつ不思議なことが起こりました。
いや、不思議といったら、ゆうなさんに失礼かもしれませんね。
春になって、ゆうなさんは、新入社員の男の子と、お付き合いすることになったのです。
ゆうなさんは、もう十年も会社にいるのに、一度も男の人とお付き合いしたことはなかったのです。それに、その彼は、ずいぶん年下の、体の細い、かっこよくて素敵な男の子なのです。
彼の背丈は、ハイヒールをはいたゆうなさんと同じくらい。
そして彼は、ふつうのアパートの、ふつうの部屋に、一人で住んでいて、朝になると、ゆうなさんにコーンフレークをごちそうしてくれます。
ゆうなさんは、彼と、もうすぐ結婚式をあげる予定です。
そんな彼の名前は、鶴田くんというのです。
散文(批評随筆小説等)
童話「なないろのつる」
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チアーヌ
2004-07-20 21:13:49