「ただいま」
小原あき

車に轢かれた「ただいま」があった
この持ち主はきっと
今頃帰る家がわからなくて
公園のベンチに体育座りしているのだろう


蒸し暑いこの季節になると
「ただいま」がそこいらで車に轢かれている
うつ伏せに大の字で
何回も轢かれたものは
紙切れのように少しの風で飛んでいける
飛び跳ねることをする彼らは
だけど、最後には飛んでしまうんだと思った


網戸を掃除しようとしたら
干からびた「ただいま」がくっついていた
少し驚いて
だけど、すぐにそれを手に取った
ティッシュなんて使わなかった
一目見ただけでわかったから
それはしばらく帰ってこない
夫の「ただいま」


玄関に小さな蛙の置物を置いている
実家の近所の魔女みたいな顔をしたおばさんが
どこかのお土産にくれたもの
ずいぶん前からうちの玄関の靴箱の上
掃除する時、埃に紛れて捨ててしまいそうなほど
小さな蛙だ


誤って捨ててしまったのは
一昨日だったか
そんなことを気に留めるほど
わたしは暇ではなかった


手の中で「ただいま」が
まだそのお腹を膨らましたまま
だけど、絶命していた


お腹に触れてみた
少し肥満気味だった夫の
だけど、わたしの一番愛しい感触に
よく似ていた


涙なんて流すわけない
もう梅雨は明けたはずなのに
外では遅れた雨雲が
飛ぶタイミングを見失った「ただいま」たちを
洗い流そうと必死なんだから






自由詩 「ただいま」 Copyright 小原あき 2008-07-25 19:05:11
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