無人駅のひと
恋月 ぴの

(1)

あなたにはじめて出逢ったのは
この廃屋が未だ駅舎として機能していた頃のこと
夏草の浸食に怯える赤錆びた鉄路と
剥がれかけた青森ねぶた祭りのポスターが一枚

この駅を訪れるひとと言えば夏山登山の客か
写真家ぐらいなものなのに
その何れでもない風体のあなたは
人目を避けるように待合室の古びた壁へ寄りかかり
しきりに時刻表を気にしていた


(2)

どちらから話しかけたのだろう
実家から東京のアパートへ戻るわたしと
何故この駅を訪れることになったのかさえ語ろうとしないあなたに
ほんの僅かな接点さえ有り得る筈は無かったのに
いつの間にかあなたはわたしのアパートに転がり込んでいた

ある種の感情の表現
例えば好きだとか愛しているとかの言葉が
あなたの薄い唇から一度も発せられたことは無かった
冷たく光る瞳に映るのは
枕を濡らす情愛に溺れた女の痴態と
男の肩にしがみつこうとするわたしの白いうなじ


(3)

あなたが革労協の主要メンバーだと知ったのは
ふたりで暮らしはじめて半年ぐらい経ってからだった
ゼミの授業を終えてアパートへ戻ると
黒いヤッケにナップザック
そして野球帽にマスクをした男達が数人
狭い四畳半に篭り一晩中何やら話し合っていた

ときおり窓から向かいの路地裏を見下ろせば
公安の刑事らしき男達がわたしの部屋を見張っていて
わたしの姿に気づいたのか
顔を隠すかのように咥え煙草をつま先でもみ消した


(4)

わたしにとって毎日が刺激的だった
地方の女子高から東京の大学へ出てきたものの
親しい友だちが出来た訳でも無く
大学と親が借りたアパートを往復する日々
何かしらの変化をわたしは求めていたのかも知れない

一晩泣き明かそうが朝になれば鏡に向かい化粧を整えるように
女は何かしらの変化を期待し続け
そしてその変化のために恋の夢を紡ぎ出す


(5)

刑事の聞き込みに慌てた両親に実家へ連れ戻されてから
あなたと再び逢うことは叶わなかった
携帯電話とか便利なものがある時代では無かったし
あなたからの手紙は総て破り捨てられてしまった

地元の男性と結婚して今では子供がふたり
あの頃のわたしが求めていた変化
それを我が子に託すのが母となった女の定めなのだろうか


(6)

温泉巡りを兼ねた夏山登山の帰りだったのか
定年退職を迎えた公安の刑事と道の駅で出会った
咥え煙草をもみ消したつま先からは未だに刑事特有の臭いがした

その男が押し付けがましく語り出すあなたの最後
対立するセクトのメンバーに側頭部を鉄パイプで叩き割られ
即死状態だったあなたの手首に手錠をかけた薄汚れた掌

内ゲバで死ぬなんてなあ

わたしの連れ子をあなたの忘れ形見と勘違いでもしているのか
嘲るような薄ら笑いを浮かべていた


(7)

ねぶた祭りのポスターの掲示してあった壁には
画鋲を差した痕跡ばかりが目立ち
ひとの手の入らなくなった駅舎は今にも崩れ落ちそうで
ひび割れたホームではセイタカアワダチソウが蒸し暑さに揺れている

見上げれば夏らしい雲が梅雨明けの空に浮び
あなたの知らない男との子供がわたしを呼んでいて
ひとつの夢の終わりにあなたの好きな向日葵を一輪手向けた



自由詩 無人駅のひと Copyright 恋月 ぴの 2008-06-29 23:08:52縦
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