手紙
「ま」の字
メールが来た
日付けはなく 差出人の名前もない
蔵書を貸してくれという
家の居間から出ようとしただけで
不意にさびしい海岸に出てしまったなら
どうする?
まあ
椅子でも出して座っているさ
― 貴意に沿いたく存じますが、なにぶん御
名もわからず
御住所もわからず、まずは詳
細方お教えくだされたく
候―
(どうせ世間様とやらの意のままだ)
重畳たる崖にふちどられ
溶鉱炉さながらの様相を呈していながら
入り江はなお おそろしい静けさに覆われている
お手紙たいへんうれしう存じ候
返信まいちど頂きたく候
ふと足もとの水をすくって飲んだ
すでに海ではなかった
膨大な真水だった
思わず夕暮れの大気中に立ちあがり
凝然とした
「おれは・・・
居間に戻っても
前腕の血管には静寂の崖が透け
踵には執拗に夕光がかがやいていた
しかたなく
浜辺が経た年を量えたはじめたが
とうに億をも過ぎてしまい
道理でくるぶしをよぎってゆくこの水が
激しく床を奔っているわけだ
・・・・・・・・・・
遠い海上に
いくつも
ばら色に崩れゆく
巻雲
ついに返信は出さぬまま
メールももう来ない