ゾンビ宗教
影山影司
『オラァ基督教徒だっぺ』と言うと、大勢の人間から怒られる。「おまえはキリストについて知っているのか?」と尋ねる人から「キリストは虐殺宗教だ」と言う人、様々である。
かつて大槻ケンジが実の父に
「ケンジ、その格好は古くさいからやめなさい」
と言われた事に対し
「20代の若者に対し、オマエのファッションはレトロだぜ、と言えるのはうちの父くらいだろう」
とコメントしていた。
丁度そんな感じである。
彼らは、農家の人に対し「野菜の作り方を知っているか?」だの「牛乳は血液と同じ成分だから体に悪いんだぜ」とか言ったりするんだろうか。
終いには「こんなことも知らないようじゃ農家を名乗れないね」なァーんて言っちゃうのか。
確かに僕は精霊だの神様だの信じちゃいない。
世辞にも良い人とは言い難い。
率先して悪いこともやる。
だけど、僕は、無神論者であっても聖書を読まずとも、礼拝に通わずとも、休日には子供を連れてキャンプに出かけて「ご飯の前にお祈りしましょ!」なんてノリにならなくったって、宗教を持つことは出来ると信じている。
知識が有れば救われるのか。
献金を積めば救われるのか。
清く正しく努力しなくっちゃ駄目なのか。
どんな人間だって幸せになるべきだ。
安心して眠れる毎日を過ごすべきだ。
ウマイ飯食って楽しく笑って、気高く生きて満ち足りて死ぬべきだ。
そのための手段が、宗教や文藝なんじゃないかなァ。
締めくくりに、僕が基督教徒になる切欠となった言葉を紹介しよう。
「地獄の釜が一杯になった。そして地上が死者で溢れ返る」
映画『ゾンビ』より
その瞬間は、もう来てしまったのだろうかと時折考える。