面白人生講話(9)
海野小十郎

面白人生講話(その9)

 今日は関東風と関西風について、一杯呑みたいと思います。なんか話をするて言うことは、まあいわば一杯やることなので。自分で酒をこしらえて、まあ飲んでいるということなんです。私は関西でも関東でもなく、まったくの別派なのでその違いがよくわかるんです。はじめて関西に来たときは,それあ困りましたよ。一番困ったのは、人の家に行ったときです。ほかの子供はみんな、上がらしてやといってから人の家の座敷に上がる。ほんの小さなことですが、それがとっても気になった。私の住んでいた所は、荒っぽいところで、人の家にいったってそんなこと言ったこともない。
 そしてもっと気になつたことは、人に会うと挨拶をしなければならないことです。5歳から関西は京都ですから、挨拶をするということが大切なことであることは、長い間身につかなかった、結婚して妻に教えられて初めてその大切さに気づいたと言うことです。
 関西はとにかく丁寧なところです。それなので体裁ばかりで実がない、と言われるところです。でも別に実のない人ばかりとはいまにになっても思いません。いろんな人に世話になったし、関西は世話好きな人が多いとも十分に言えるのです。
 二十歳代に関東それは東京でしたが、行ったときも、ショックばかり受けました。つまりカルチャー・ショックというやつですね。東京はあまり長くなかったので、それほどでなくて、まあ東京は蕎麦屋が多くて、京大阪はうどん屋が多いということが気づいたことの一番目立った点です。饂飩と蕎麦、その違いがそもそも両者を分けるところの大きな違いではないかと思うのです。関東は蕎麦的で関西は饂飩的である。さっぱりした蕎麦とつるつるした饂飩、そういう違いがあるのではないでしょうか。
 とにかく相当な距離で昔から離れているのですから、それぞれ独特な文化があることはべっにいうまでもない事です。こう書いてくるともうこれ以上関西関東について特に変わったところがあるわけはないのです。
 福岡県・京都市・奈良市・兵庫県。滋賀県この五つに住みましたが、今の滋賀県が一番いいですね。住めば都で人生の半分を滋賀県で過ごしましたが、もうどこにも行きません。
この滋賀で妻にめぐり会い子を育て、キリスト教の伝道者になり、すんでいる周りをくまなく訪れ、インターネットで調べると私の先祖は、この滋賀の近江にあったとのことです。
 関東風でも関西風でもない、滋賀は私にぴったりです。自分の住んでいるところを最も愛する。これですそれが一番幸福なのではないですか。



散文(批評随筆小説等) 面白人生講話(9) Copyright 海野小十郎 2008-05-20 16:02:03
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