かつていちどは人間だったもの
影山影司

 ネアンデルタール人はホモサピエンスにブチ殺された。原因がなんだったかは知らないが、曰くネアンデルタール人は発声に不自由があったらしい。仲間同士の意思疎通に関して、ホモサピエンスの方が一歩秀でていた。連絡に欠陥のある部隊がどうなるか。わざわざ現代戦争を例に出さなくても分かるだろう。そしてさらに、誰が決めたか知らないが、ネアンデルタール人は心優しい生き物であったという。一方、我々ホモサピエンスは血を好んだ。
 仲間のようで、どこか違う。そんな輩がいたら、ブチ殺すのに理由はいらないのかもしれない。
 だが、ネアンデルタール人は、いや、地球上全ての生命は。

 もともと一つの命から育まれた兄弟ではないのか。と、思わずにはいられないんだなぁ。

 ヒトが人らしくなって数十万年。生命倫理や遺伝子工学を持ち出さなければ「人とは何か」ってことが分からなくなりつつある。日常に溢れる化学食品のせいか、はたまたあちこちから垂れ流される燻る黒煙のせいか。丁度俺の親くらいの世代から、『奇形種』と呼ばれ隔離される子供が増えた。奇形種は頭や背中(四肢に近い位置即ち肩胛骨上、臀部)に瘤を作っていた。政府やマスメディアはその呼び方を禁止する方向で動いたが、未だにその呼び方は定着したままである。

 『鬼』

 生まれた瞬間に鬼である子も多かったが、思春期に鬼となる子も多かった。鬼となればどこかの山奥の施設に入れられ、身内すらも面会できない。警備は厳重に、鬼の治療法は何年経っても解明されず、まして収容された鬼からの便りなど、まったく無かった。

 進みたくもない医者の道を歩まされて、生まれて初めて後悔したのは『施設職員』になっちまった時だ。法外な給金と国家機関勤務経験は旨かったが、それだけに何かあると分かっていた。周りのボンボンはハシャいでいたが、施設を目の当たりにしてビビりそのまま一週間で仕事を辞めた。

 分かっていると思うが、施設に入った『鬼』は全員すぐ死んだ。心不全とか、急性白血病とか、そんな感じだ。不幸な奴は風呂場で足を滑らして頭を打ち、一週間植物状態になった後死んだ。
 もちろん嘘だ。
 施設は『研究施設』で鬼は『研究対象』だった。
 俺の初めての仕事は、通路に並んだ裸の鬼共にナンバーを振り分けること。そしてそのナンバー通りの数字を背中にデカデカと染料で塗り込んだ。怯える鬼の目に慣れたのは、丁度一週間経ったあたりだった。
「ママの愛情が足りなかっただろ?」
 施設で俺の教育担当となった男は、一番最初に聞いてきた。糞ったれだ。
 ニヤニヤ笑う眼鏡の研究員が嫌いだった。そいつは結構なペドフィリアで、暇さえあれば物陰でゴソゴソしていた。
「俺もママの愛情が足りなかったんだ」
 倉庫からヒョコヒョコ出てきたかと思うと開口一番そう言われた。べとついた手で肩を叩かれる。よどんだ眼が覗き込んでくる。嫌な臭いがする。倉庫の中からはいたぶられた鬼の押し殺した声が。
 冗談じゃない。

 俺は下っ端だったから、研究に関する重要な情報は知らない。仕事と言えばぞくぞくと運ばれてくる鬼の管理、上から渡された実験結果の整理が主だった。
「うーん、非道だ」
 数字と記号ばかりの書類を見て、率直な感想が漏れるのは優秀だからかもしれない。研究員としては優秀だった眼鏡は、管理人としてはもちろん最悪だった。実験スケジュールを調整して鬼を暫くちょろまかす事に関して、奴はこれまた優秀な情報操作を行った。

 ここから先の事は正確じゃない情報を含む。
 断片的に送られる実験結果、眼鏡との曖昧な世間話、そして俺が実際に見た光景を寄り合わせて話すからだ。

 鬼の持つ瘤は、バッタ等の昆虫に見られる神経瘤と似たものである。例えば人間はその情報処理を脳味噌のみに任せているから、指先の情報は長い神経を伝って脳味噌をくぐり、それから動かねばならない。だが、例えば脇や腰などに情報処理機能があれば、情報を短時間で伝達、処理できるため素早い動作が可能である。バッタなどは脳ほどではないが、簡単な情報処理機能を神経を毛糸玉みたいにしたもので代用している。
 鬼と昆虫の違いは、昆虫のそれはあくまで神経が絡まったものであるのに対し、鬼の瘤は堅い外皮の中に液状の神経が貯まっていることだ。ココナッツジュースかウィスキーボンボンのように、不定形の神経。

 鬼の運動数値は同年代の人間よりもわずかに高かった。本格的な訓練を施した鬼の成長は早く、ある程度の数値に達すると危険なので薬剤実験の方に回されたようだ。
 また、計算力も非常に高く、特に暗算を行うのに長けていた。人間で言えば六歳児の雌が、五桁の掛算をこなすのには驚いた。頭部の神経瘤に麻酔を行うと計算力が低下するため、神経瘤になんらかの情報処理機能があることが確認された。

 人間は良く、「一人じゃ何も出来ないが大勢ならば何でも出来る」という言葉をよく言う。日本人ならば「三本の矢」の例えが有名だろう。そして、それは事実だ。強力なチップ一枚で計算を行うよりも、通常のチップ三枚で計算した方が処理しやすい。
 人間の脳は内部でいくつにも機能が分かれているので一概には言えないが、一応、一つだ。ところが鬼はどうだ。一人で八個以上の神経瘤を持つものもいる。それら全てが微弱でも、全てを束ねて行われる思考力とは……。
 上層部もバカでは無いらしい。しばらくすると、一部の実験体を除いて鬼には思考力を濁らせる薬剤を食事に混ぜて与えるようになった。もちろん檻は個別収容できるものだ。
「マグロはツマランネ」
 眼鏡は相変わらずだった。死ねば良い。


 ネアンデルタール人とホモサピエンスは共存できなかったのだろうか。いや、争ったとしても、絶滅することは無かったのではないか。人間が戦争を起こし、同士討ちを繰り返しながらも、滅ばずに生きてきたように。
 そして生き残ったネアンデルタール人とホモサピエンスはジョンレノンを口ずさみ、同じ陽の光を浴びて、ともに飯を食って健やかに生きることが、可能だったんじゃないか。異なる種族とはいえ、もともと同じ生命から分かれた兄弟ならば、そんなことくらい、簡単にできたのでは……。


 三年経った。そろそろ仕事にも余裕が出てきた。デスクワークに一息ついて、眼鏡に世間話程度に話を振ってみた。
「バカなこと言っちゃいかんよ、君」
 眼鏡は俺の話を一蹴した。
「人間ね、一度楽しいこと憶えちゃうと堪らんね。最近ついついやり過ぎちゃうよ。Sっ気多いからぁ」
 パパの愛情が足らなかったんですね、と返すと、あー、うん。とはぐらかされた。少し意外だったが、まともな人間がこんなところでこんな事をしている訳が無かった。

 それから六日経った。深夜。
「前言ってたね、ネアンデルタール人の話。アレ、やっぱり無理だったと思うよ」
 眼鏡が突然、俺の寮部屋にやって来た。
 靴も脱がないまま、玄関で困ったように頭をがりがりと掻いた後、「一度でも味を占めちまえば、後はそれを楽しむしかなくなるもん。オナニーしたら、絶望するだろ? あれが無かったら人間は猿みたいに絞り切っちゃうんだよ」とはにかんだ表情で言う。まぁ、中で茶でも。と俺がヤカンを手に取り促すと「いやいや」と手を軽く挙げて拒んだ。
 眼鏡と俺は、仕事の付き合いは長い。殆ど二人で仕事をする事が多かったし、三年間分からないことがあれば全て眼鏡に聞いて、仕事のやり方を憶えた。眼鏡の人格はともかく、仕事の腕や知識は非常に優れたものであった。なぜこんな場末の研究員をやっているのか、と何度も思ったが、眼鏡の人格に問題があるのを思い出して聞くのをやめた。
 そうだ、俺も眼鏡も互いのことを殆ど知らない。プライベートの話題はしない。休みの日も施設から出ることはない。趣味という趣味も持たず、ただ淡々と仕事だけを続けてきた。
 だから俺と眼鏡は仲は、他人に近い。

 そんな眼鏡が、突如深夜に俺の部屋を訪ねてきたのだ。内心うれしくもあり、うれしいと思った自分自身に驚いた。
「ホモサピエンスはきっと、楽しんでネアンデルタール人を殺したんだろうね。もしかしたら正義感に燃えてたかもしれない。悪を討つための暴力ほど、魅力のある感覚はこの世に存在しない。だから人間はこんな時代でもせっせとよく分からない悪いものを相手にデモするし、自由は良いことだ、と言いつつ不自由を攻撃するんだ。どちらも理由があってそうなんだから、良い悪いとは別のことなのにね」
 眼鏡はそう言って、懐からメモ帳程度の分厚さになった封筒を取り出した。
「急いでたんで、今はこれだけしかない。全部終わったら倍以上は払うから、協力してくれ。鬼を遊び過ぎて一匹殺しちゃったんだ。朝になったら、今までのことも含めてバレる。タダじゃすまないだろうね。比較実験に使われるかもしれない。五体満足で死ねればまだ幸いってところかな。でもそんなのは嫌だ。お気に入りの鬼を一体連れて、ここを脱走する。大丈夫。衛兵の一人にワイロを渡して話をつけてある。後は君が不在証明を作ってくれれば良いんだ。助けてくれ、友達だろ?」
 封筒を受け取り、中を見た。紙幣が何十枚も見えた。なるほど。

 思わずため息をついた。
 一撃、ヤカンで殴りつけると眼鏡の頭はぐにゃりと凹んだ。ビクビクと痙攣する体を裏返すと、幸い血が殆ど出ていない。鼻と、あと口の中を少し切っているだけのようだ。
 ここが研究施設で良かった。死体の処理は簡単だ。


 それからさらに一年が過ぎた。
 心配していた追っ手は来なかった。封筒の中身と、眼鏡の死体から頂いた財布で身分を買い、家を借りた。あとは適当な仕事について毎日プラプラしている。
 考えてみれば、毎日糞のように鬼の死骸を垂れ流す施設だ。研究員がちょいといくらか拝借したところで、誤差の範囲で済ましているのかもしれなかった。

 ところで俺の部屋には、雌の鬼が同居している。年は人間であるならば高校生くらいだろうか。一年前のあの日、眼鏡の部屋に匿われているのを見つけ、そのまま連れ出したのだ。もともと障害の多い家系の子だったらしい。言葉が不自由であったが、元々日常生活でそれほど苦労はしていないようだ。瘤があるのを除けば通常の人間となんら変わりない。
 帽子をかぶらせ、ゆったりとしたワンピースでも着せておけば周囲にばれることなく普通の生活を送れた。鬼は賢かったので自分の状況を理解し、質素なこの生活にも満足しているようだ。
 俺も今の生活を気に入っている。

 ところで、最近、思い出したのだが、芋虫は成虫へと成長するために、蛹化する。それまで順調に大きくした体を、堅い鞘の中でドロドロに溶かし、再構築するのだ。
 また、一部の寄生虫や共生関係にある微生物は宿主に有益をもたらすことで知られる。例えば病気を防いだり、体内の処理を助けたり、とか。だがそれはあくまで自分のために行われるのであり、宿主との関係バランスが崩れたり、寄生する必要がなくなった時(主に繁殖の際)には、宿主を破棄して爆発的に広がる。
 鬼の頭を撫でた。
 一度も染められたことのない若々しい黒髪の下、硬い地肌の中でも目立つ、骨に似た硬質の瘤。
 表面をなでると、かすかに罅割れの感触。


散文(批評随筆小説等) かつていちどは人間だったもの Copyright 影山影司 2008-05-19 11:53:16
notebook Home 戻る