種無し葡萄
窪ワタル

化石になった受話器から
感傷が漂って来る

あの日から忍び寄るいつもの夏を
おぼろげに感じかけた矢先だというのに
僕は夏を失ったのだ
あの日からという夏を


あの日
やがて歴史になったあの日
いつもと変わりない暑い夏の朝で
けたたましく蝉が鳴いていたという日
悪は一瞬にして
無数の針でおっちゃんを貫き
そのまま時を止めた
おっちゃんは証拠になった
焼き付けられた悪の証拠


ケロイドを見せてくれましたね
決して癒えない死の影を負った背中を
まだ幼すぎた僕は
その真意も その地獄も その悪の
逃れようのない恐怖も
本当は何一つとして
汲み取ってはいなかったのです
 
ごめんなさい
本当にごめんなさい
北を忘れたコンパスのように
僕は詫びた

でも
あまり悲しくはない
どこかで予期していたし
何より
おっちゃんはもう
苦しまないで済むのだから
ただ
もう二度と
おっちゃんの送ってくれる種無し葡萄は食べられない
あの夏の
おっちゃんの命を繋ぎ留めた
ひと房の記念碑は
もうどこにもない

僕は夏を失ったのだ

詫びきれない夏の背中が
足早に薄まって行く


荼毘に付されて
白い灰になったおっちゃんの骨は
まるで砂みたいだったと
おばちゃんは声を詰まらせながら教えてくれた

まだ梅雨が明けないという日に


自由詩 種無し葡萄 Copyright 窪ワタル 2004-07-07 08:31:22縦
notebook Home 戻る