言葉探偵ワタナベ-週間レコメンド・ポエトリー(1)
ワタナベ

今週のレコメンド・ポエトリー

さよさん 「パパ」
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=130846

文明開化の足音も遠く過去の遺物として語られることになったこのご時世において
侍って(笑)的な発想から言葉の探偵に鞍替えしました。
てことで、今週一番好きだった作品について

不思議な色合いの詩だと思う。ひらがなと漢字のバランスも不思議。
親父、でも、おとうさん、でもなく、パパ、なんだよね。
パパってなんだろう、なんだかなんでも出来そうな気がする。
幼い目から見たパパはきっとなんでもできるんだろう。
もちろん、三日月を虫取り網でとっちゃったりもできる。
だけれど、話し手が歳をとるにつれて、人間としてのパパが抱えている
さまざまな、葛藤だとか、人間らしさ、が見えてくる。
でもやっぱりパパはパパで、今でも「わたし」は
鞄の中の書類には、お菓子の家の設計図が入っていることを
「しっている」んやねぇ。
パパの笑顔は世界一だ。だれがなんと言おうと世界一なのです。
パパがにっかりわらうと、つられてにこりとしてしまう。
ところが、1,2連の描写のパパはなんだろう。
「くるまの匂い」は「こびりつく」もので、あまり愉快ではないように
見えるし、「死」というワードが二回登場する。
2連目の死んでいるくらげにむかってべろを突き出し、忍びわらいを
しているパパ。
そのパパ像とは「わたし」にとってどんなものだろう。
ユーモラスな表現の中に見え隠れする複雑な「パパ」像
それはイコール、「わたし」にとっての「パパ」がどのようなものなのか、
うーん、と頭をひねって自然と出てきたものなのかもしれない。
「パパ」は「パパ」だけれど、「わたし」にとってはいろんな「パパ」
がいる。
「ほんとうは知っていたんだよ」むむむ、ほんとうは知っていたんだけれど
あえていわずに隠していた、ともとれる書き方、それは「わたし」が
「パパ」を「パパ」という位置にいさせてあげていたのかもしれない。
でもきっと「パパ」もそれを承知していて、両者の中に暗黙の了解のような
ものができていたのかもしれない。
でもやっぱり「パパ」はやさしくて、大きい。
だって、そんなお互いの暗黙の了解の中にあっても
照れも、一抹の寂しさも感じさせずに、おもわずつられてしまうような笑顔で
「にかっと」笑ってしまうのだから。


散文(批評随筆小説等) 言葉探偵ワタナベ-週間レコメンド・ポエトリー(1) Copyright ワタナベ 2007-08-23 16:05:37
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