裏銀座
はらだまさる



底を歩いている。ずっと。君の手で死に至る太陽が捥ぎ取られて、チタンのカップに絞られる。登山地図を開いてコンパスを合わせながら、私はさっきから携帯ラジオのチューニングをしているが、彼女は石と、風しか捉えようとしない。「あたしが、何で歩いているのかわかる?」と俺に訊いてるみたいだ。全てがはっきりしている。空の青、白い雲と風。岩肌と、雪。きっと咽喉が渇いているのだろう。ここにいる誰もが乾燥して、かがやきに満ちている。年老いたピンク色のキリンが世界のように歩いて、歩いている。とても首が短いんだ。俺が声をかけると、彼女はバランスを失い、爆破され、崩れ落ちるビルのようにその場に倒れた。咄嗟に、粉々になった彼女を抱きかかえたが、恥らう彼女に気がついて失礼なことをしたんだと思った。俺は青春の、新品のスニーカーの匂いを嗅いだときのような、どこか歯痒さが残る心持ちになった。君たちが烏帽子の頂、その小さな岩の上に立ち上がったとき、私はシャッターをきった。君たちはまるで青空から生えた植物のように、とても力強くみえた。あんなに硬い岩肌が、母親のように優しく感じられたのは何故だろう。野口五郎岳は、いつまでも穏やかに笑っている。どこまでも続く北アルプスの稜線。水晶岳に近づくにつれ、紫のコマクサ、白いキンポウゲや黄色いタカネスミレの花々が一面に咲き乱れている。20?弱のバックパックを背負い、岩にしがみつき、柔らかい山肌をトラバースしながら、登山用のストックを駆使して歩く。360℃山に囲まれた、エル・グレコの描いたトレドよりも美しい世界を眺望する。夏の高過ぎる青空を、突き破るように聳える槍の尖端から、声が聴こえてくるようだ。陽射しは強いけれど空気はとても冷たくて、名前も知らない高山植物の匂いが心地良く、ぼくたちはただ、歩いている。熱中症予防の、少し塩味の効いた飴を舐めながら。おばさんがくださった自家製の梅干を噛みながら。日焼け止めを塗りながら。一歩、一歩と、その一歩、一歩に全神経を集中して、死ぬために歩く一歩が生きようとする一歩なのだという、当たり前のことを実感しながら。歩き続ける。十年前の夏、真っ暗闇の富士山のなかで、膝を抱えて脅えていた俺は、山に登りたいんぢゃなくて、山になりたかったんだと気付かされた。あたしは、あたしにあたしを歩いて欲しいんだ。真っ白なガスの向こう側で橙に揺れる夕陽が、私たちを淡い存在にする。力なく立ち尽くし、開ききったぼくらの細胞に、ペルセウス座流星群が音楽のように降り注ぎ、肉体からも空間からも時間からも解放される。X軸、Y軸、Z軸から解放されて、ただ流動的に存在する。あの、大きな一条の天の川は、ぼくらの思考だ。俺は呆然と歯を磨いている。山肌を真っ白に燃やす朝陽を、ファインダー越しにぼくは望む。あれから二日後に出会ったスカイトレイルするピンク色のキリンは、逆光に照らされあまりにも美しい姿で、私の眼に飛び込んできた。あたしは彼女みたいに美しくなれない。ぼくらは水晶小屋で作ってもらったオニギリを頬張り、全身が山に満たされてゆくのを感じながら、一息ついた。不必要なものなんて、ここには存在しない。必要なものだけがあって、それ以上でも以下でもない。長い前足に支えられた緑色の大きな影が覆い被さって、ぼくは砂になる。砂になったぼくは、汗をかかない。ipodの白いイヤフォンが、乾燥しきった地面に埋まっている。山はどんな音楽を聴いているのだろう。あたしは、まだ十二時を知らない。滑落した人々は月に照らされて、俺はその下で永久凍土にでもなるのだろうか。私が痛めた左膝が、苦痛に笑いそうになっている。あたしが心配そうにそれを眺め、ぼくは黙ってカップに絞られた養分を補給する。私は振り返る。舞台の上で走り回っていた少女、そして少年たち。ここは地獄でもなければ、天国でもない。だけど、かがやきに満ちている。

ぼくらは山になる。こんなに高い、青空の底で。



※一条氏『I have two beds.』http://bungoku.jp/ebbs/bbs.cgi?pick=2231へのオマージュ










自由詩 裏銀座 Copyright はらだまさる 2007-08-21 16:12:06
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