批評をするにあたって。
ワタナベ

あー
まぁ、よく批評なり感想なりを寄せる人間なので、ひとつそういうことをする、にあたっての立場表明などしておくと、読む人も読みやすいかなと思ってしてみます。
自己紹介みたいなもんかな、あれっしょ、名刺とか、大切やんね。

えとね、ここには6000人、なんかで読んだけど1週間でのべ300人くらいの詩書きがおとずれるんやってね。すごいねー。
んでざーっと作品がならぶわけや。ほんでポイントが入ったり入らなかったり。
えとね、いいきっちゃうと、1週間に並ぶすべての詩を読むよりも、300円なり出して
市販の有名現代詩人の詩集買ってきて読んだほうが、俺にとって有益です。
それは多分、その一週間にこのサイトをおとずれる300人にとっても同様のことが言えるんじゃないかなぁと思うわけですよ。なにも好き好んでアマチュアの詩を読む必要性が見出せない。まぁこれを読んでるあなたの詩を否定するわけじゃないけれどもね。俺も詩書きの末席に並ぶものとしてここに自分の作品を投稿しているわけだし。
で、もしその300人なりが、俺と同じ考え方をしたとする。ここに並ぶ作品群よりも、市販の詩集買ったほうが有益じゃないかってね。そすると、だーれも読み手って存在しなくなるっしょ。読み手が存在しなくなって、投稿してもなんのアクションも起こらなくなったらどうなるかな。んー、どうやろう、多分50%くらいの人は詩を書くことをやめてしまうんじゃないかなぁと思う。ここのサイトだけの話じゃなくてネットという空間すべてにおいてそういう現象が起こったとしたらね。やっぱり、どうしても市販の詩集を上回るほどのクオリティを持った詩なんてのは、千分の一だとか、そんな割合です。でもね、
俺はネット詩の世界が好きなん。はずかしいけど言い切ってしまう。ネット詩に投稿される少年少女の恋愛詩やそこから無限に広がってゆくこの場が好きだ。そして可能性がないわけじゃないとも思う。ネット詩っていうのは、フォラムに限らず、そういったある種相互依存関係の上に成り立っているともいえてしまうかもしれない。良くも悪くも。んで、ここまでを前置きとして、自分が批評をどういう位置においているかというと。「ニーズにこたえる」これに尽きる。批評は詩を育てるひとつのファクターであるとも思うし。詩をもっと広げる、こんな読み方もあるんだよ、とか、読者に異なる新鮮な視点を与えることによって、最終的には相互の交流や、ネット詩を豊かにしてゆくことを夢想している。
ネット詩だとかでかいこと言ったけど、それはほんの小さな切り取られた空間の中でのものだっていい。ネットは広大にして、同時に小さな空間でもある。純粋な批評とは、詩と相互依存関係にあり、かつ独立した作品として存在するもの、云々、という話をきいた。
そしてスレッド「新撰組」ではそういうことをお題目として掲げている。俺の書き方としては相互依存関係にあるのはもちろんであるし、「読んでもらえるだけの魅力を備えるため」という点において独立した作品であるということを掲げている。ただそれだけのことなんです。魅力なくて読んでもらえなかったら交流だのなんだの言ってられないからのい
ということで今いろいろと批評のお勉強中。また、読み方を勉強すると、自分の詩を少し時間を置いたときに客観的に見られるしね。あいーながくなったけど、自己紹介おわり。
要はそれぞれがそれぞれにこの空間を楽しめってこったw


散文(批評随筆小説等) 批評をするにあたって。 Copyright ワタナベ 2007-07-23 12:17:32
notebook Home 戻る  過去 未来
この文書は以下の文書グループに登録されています。
現代詩フォーラム批評