『石の女』
川村 透

目覚めている時の、
彼女の姿は写真には写らない。
僕はこっそり、眠り姫、と呼んでいる
なぜって?
眠っている、その姿だけは写せるからだ、
盗むことが出来るからだ、
と、僕だけが知っている。
彼女は、知らない。
彼女がどこから来たのか僕は、知らない
彼女がどこから来たのか彼女も知らない
彼女が誰、なのか、僕も彼女もわからないまま、
僕たちは磁石と砂鉄のように一緒に暮らし始めていた。



フリーのカメラマンである僕は、眠り姫、に夢中になった。
過去をなくした彼女の保護者として
カメラを使って親密さを積み上げていくうちに
暗室の闇の中、僕は、
彼女の姿が写真には写らないことに気づいたのだった
透明人間の一種であるなら衣服は写るはず、
なのに彼女が身に着けたもの手にした花や靴でさえ
マイダス王に触れたかのように、写らなくなるのだった。

目覚めている時の、
彼女の長い黒髪は淡い月を縁取るようにおごそかで気高く
猫のようなまなざしとしなやかさをたたえながら決定的に
何かが欠けていた。
もちろん言葉は人並みに通じるし、
つつましやかで、育ちの良さが匂うばかりだ
たしなみ、や、ふるまい、も古風で上品で
何の不満も不自由も、あるはずもない、
なのに彼女は人の形をした、虫、じみた、美、を僕に伝えた。
僕は虫かごにお気に入りの蝶を閉じ込めて飼っているような、
甘美さ、にふるえながら
少年のように胸を高鳴らせて日々を過ごしていたんだ。


僕が
眠り姫、を
眠り姫と名付けたのは
眠り姫、
眠るある夜のこと
僕は砂時計の夢から目覚めた。
僕と彼女のシーツは蒼く、けだるく物憂く、僕は
物思いにふける、
眠り姫、
が脱ぎ捨てたモノは被写体として再びカメラに写るようになる
脱ぎ捨てられた衣服どもが、被写体として息を吹き返している事を
知ったときのなんとも言えない落胆、ナゼダ?ナゼダ?
眠り姫、
眠り姫、
僕は、ふいに奇妙な予感につきうごかされる。
彼女の花のような寝姿を撮ってみよう
レンズを向け、こっそりと、シャッターを切り続ける
その音にうっすらと彼女の瞳が開く、黄金の
見たこともない輝きが薄闇にこぼれて僕はカメラをあわてて隠す
彼女の瞳はやがて瞼にしまいこまれ、嘘のように夜が帰ってきた
と、
甘く声を上げ目覚めることなく、寝返りをうつ眠り姫、
を尻目に眠れそうにない僕は暗室へと急ぎ現像にとりかかる
そして眠り姫の寝姿が何枚も何枚も何枚も何枚も
美しく印画紙を汚していることにぞくりと黒い歓喜を覚えたんだ
けれど、あの、瞳がよみがえる瞬間の輝きは撮れていなくて
最後の数枚は彼女の
姿が突如消え失せ空のベッドの陰影が刻まれているのだった。

目覚めている時の、
彼女の瞳にはあの輝きは感じられない、
あの瞳が闇をとろけさせるように輝いた瞬間、
僕の耳の底に月琴の音色じみたすこやかな
あこがれ、に似た、いらだち、が生まれたのかも知れない。

それからの僕は、クスリを使い
日常のありとあらゆる場面で彼女を眠らせてみた。
キッチンでエプロン姿のまま流し台のステンレスに、耳をあてたまま
オニオンスープを僕の器に流し込む白い腕に指をからめてくず折れる
リビングで僕の肩に頭をのせ映画に眉をひそめながら不意に重くなり
シャワーの音けたたましくバスタブに赤い胸と濡れた髪を預けたまま

眠り姫、
と、呼びかけても目覚めない彼女のそばに居て
僕はいらだちをかゆみのようにかきむしりながらシャッターを切る
ひとつシャッターを切るたびに
彼女は薄皮を剥くように深いところからよみがえって来る
ひとつシャッターを切るたびに
彼女は薄皮を剥くように深いところからよみがえって来る
石のようだった白い顔に赤みが差す頃、僕は
彼女をベッドに運び隠しカメラのリモコンを指でもてあそびながら
あの至福の一瞬を待つのだ。
眠り姫、
の黄金の瞳がうまく撮れていた試しは、なかったのだけれど。

眠り姫、
と、暮らし始めて、初めての新年を迎えた
白と桃色、つつましやかな振袖姿の彼女を、僕は夜明けまで、
もてあそんだ。
赤い和室で炬燵の横に体をねじるようにして倒れこみ
めくれた袖口から白い腕をあらわにしたまま
うなじを上下させ眠る彼女に、
フラッシュとシャッター音を規則正しく浴びせかける僕は
鬼のように赤く上気した頬を、さらしていたんだろうか?
ふっと憑き物が落ちたかのように僕は、
美しい死体のような彼女に深い罪の意識を覚えたんだ、それは
ひとつシャッターを切るたびに
赤く黒く閉じ込められていた深いところからよみがえって来る
ひとつシャッターを切るたびに
赤く黒く閉じ込められていた深いところからよみがえって来る
石のようだった白い顔に赤みが差す前に、僕は、
彼女に僕の行為を打ち明けようと決意していた。
彼女にいままでの写真をすべて見せ
この、不思議、と彼女の思い出せない過去のために
僕に何が出来るのか考えよう。
心が決まると、
僕は最後に撮った写真を二度と見る事ができないかもしれない、と
いとおしい振袖姿の眠り姫を
急いで印画紙に焼付けなければならないのだと、
暗室へと、急いだ。

写真の束を手に、もどってみると
眠り姫は目覚めていた。
僕は彼女を掻き抱き写真を見せ、

目覚めている時の、
彼女の姿が写真には写らないこと、
眠っている時にだけ彼女の姿が写ることを長々と言い訳がましく
説明したのだ、彼女は顔を背け、僕の腕を
静かにけれど断固として振りほどくと声もなく目を閉じ
いやいやをするようにゆっくりと畳にくず折れてしまった
ばさり、
と舞う彼女の写真
僕は思わず宙を舞う写真の一枚を手にとり
ぎくり、
とその中に写る彼女の姿に釘付けになった。
撮ったばかりの振袖姿で横たわる彼女の、白い、写真
その瞳に変化が兆していたのだ、赤く白くもうそれは
そう、黄金の色に近い
ちりちりと糸を重機でこじ開けるようにゆっくりと
印画紙の中の彼女の瞳が開いてゆくのだ
僕は歓喜のあまり嗚咽をもらし輝く至福の予感にふるえながら

感じたんだ。

ひとつシャッターを切るたびに
つま先からゆっくりと着実に、彼女の永遠、が脈打ちながら
僕を満たし僕を石に変えてゆくのを
ひとつシャッターを切るたびに
つま先からゆっくりと着実に、彼女の永遠、が脈打ちながら
僕を満たし僕を石に変えてゆくのを

眠り姫、
石の眠りを眠る、そのかたわらには、
彼女を讃え守るかのように立ち尽くす僕、という石像
印画紙の中、もう彼女の瞳は丸い猫の目の満月、玲瓏と熱を帯び
黄金の朝日となって。

恋焦がれていた、
僕の、かゆみを、いらだちを、あこがれを、癒してくれる
金色の
永遠という死、
黄金の
永遠という死、が


僕を、
盗む。



-------------------------------------------
「初出 メルマガ『さがな。』62号(2004/1/17)」


自由詩 『石の女』 Copyright 川村 透 2004-05-19 14:32:33
notebook Home 戻る  過去 未来