包まれる夏の風景   デッサン
前田ふむふむ

暑い夏だと、手がひとりでに動く。
発せられなかった声も、潮風の涙腺にとけて。

装飾のための深い窪みまで、
透き間なく、枯れている、古い桐箱に眠るフィルムを、
年代物の映写機に備え付ける。
暗室の煙たさは、
カラカラと音を上げる回転のなかで、
父のようななつかしさを、
引きだして、

わたしは、昼と夜とを、
見慣れた岬の断崖の端から、前に進んだ。
海風が背中を押しているので、
波のようにフィルムの濁流を歩けている。

カウントされる数字の後に、
黄砂のような皮膜が、一面塗されて、
ところどころ欠落した、白い燃えつきた時間のなかから、
「カルフォルニアの鉱山の街」と書かれた
寂れた片田舎の西部風の木造家屋の行列がつづく。
疲れている街路灯は、崩れるように破損しており、
そこに、二羽のハトがとまっている。
ふくよかな肉体をクローズアップされる
二羽のハト。
こうして、銃弾の物語は、日常の枕元で、
やわらかく誕生した。

無造作な空白が並び、
やや、時間を置いて、

音の無いざわめきとともに、
かすれて見える、男たちの汗まみれの服に、
突き刺してある饒舌な銃口。
死者の数だけ、鈍くひかっている。
その男たちに寄り添いながら、
地味な模様の着物を着た日本髪の娼婦が、
星条旗と日章旗をもって、酒場に手をひく。
その遥か上流から、一台の幌馬車が、
明るい色らしき帽子を被った、
若い女を乗せて、坂を流れるように降りてくる。
悪路をゆれている眼は、えいえんに開いたまま、
いつまでも、白い闇を見ている。
部厚く積み上げた、
黄砂も、波のように、あとにつづく。
1925年9月⒒日、撮影の付記が、
おぼろげに見える。

・・・・・・・・・・

夏を浴びた灯台のある岬で、
わたしは、立てかけたカンパスに、
遠い水平線までの、わたしの心象をてらした、
蝋燭のようなおちついた海を描いている。
やがて、燃えるような日差しが、
光度を増してくると、
仕上げのために用意した、鋭利な赤色が、
海の波のカーブを覆っていく。
わたしが、一面を赤く塗りつぶそうとすると、
あなたが、強く筆を取る手を握って、
泣いて制するのだ。
動かなくなった赤い筆をもつ手を眺めながら、
今日も、あわい織物のような一日が終わっていく。

無防備な海鳥が、傍らで、翼をやすめる。
一羽、また一羽と。

赤く染まった手を洗いながら、
       わたしは、海鳥と、いっしょに、
夕陽に染まる、過去となった水平線を包んで、
   その彩りを、翼のなかに仕舞いこむ。

古いフイルムも、黄砂も、カンパスも、
      翼のなかにいる。




自由詩 包まれる夏の風景   デッサン Copyright 前田ふむふむ 2007-07-11 21:26:28
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