パソコン通信の思い出 3
渦巻二三五

 ニフティのF文学(文学フォーラム)には、『いまのは倶楽部』という短歌・俳句の会議室があり、私はそこで読み書きをしていました。
 私が参加しはじめたころは、発言数は一日四つか五つくらいだったでしょうか。十には満たなかったと思います。皆、淡々と投稿をしておいででした。
 感想コメントが寄せられることは多くはありませんでしたが、「あ、これは面白い」と思うものに私がコメントしてみようと思うと、それより先に話題にしている人がいたりして、普段静かなところでも、「読まれている」という緊張感がありました。
 『いまのは倶楽部』では、毎週「お題」を出してくださる方がいて、今週のお題は何々、と書き込まれると、題詠の歌や句が会議室に投稿され、一週間後にそれらの作品がまとめられていました。その間、社交辞令的挨拶書き込みは一切なし、という実にすっきりしたものでした。
 その他に、毎月「たまには歌句会」とい歌句会が催されていました。名伏せで作品を投稿し、それぞれが持ち点を評とともに投票するのです。歌句会を取り仕切る役は参加者有志の持ち回りでした。
 毎月、自分の作品に何点いただけるかと、どきどきわくわく。そして、自分の選は他の人とどう違うのか、自分の「読み」も試される面白さがありました。
 毎月投稿の締め切りまで、あれこれと自作を選び、ときには「ああ、書けない!」と思い悩むのも、今にして思えば楽しい時間でした。
 作品一覧が名伏せで発表されると、いつも「これは、とてもかなわない!」と打ちのめされるのですが、すぐに気をとりなおして、選にとりかかります。一つ一つ鑑賞し、歌や句の一文字まで、しゃぶりつくすように読みました。短歌や俳句といった短い詩形だから、そのように読むことが必要なのだと自然とそう思っていましたが、私が詩を読む読み方はこのときからあまり変わっていないと思います。
 助詞一つで意味が違ってしまう作品に時間をかけて向き合うことができた、このときの経験は実にありがたいものだったと思います。
 歌句会の結果発表はそれはそれは待ち遠しいものでした。
 歌句会の醍醐味は自作の点数の多寡ではありません。発表の後に行なわれる参加者のやりとりなのです。
 自分の作品について他の人の評を読んで気づかされたり、選をした作品でも自分の読みの浅はかさや誤読が明らかになったり、あるいは、逆に自分が推す作品の良さを主張することもありました。
 私は、作品を読んでもらう嬉しさとともに、他の人の作品を鑑賞する面白さを知ったのでした。

つづく



散文(批評随筆小説等) パソコン通信の思い出 3 Copyright 渦巻二三五 2007-06-29 11:28:08
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