銀河鉄道の旅1
ワタナベ

私は小学生の頃は母の影響でミヒャエル・エンデや宮沢賢治、ゲド戦記、そういったものをずいぶんと読みました。拙作「さそりの心臓」は宮沢賢治の銀河鉄道の夜の影響を多大にうけたものであり、また私のつたない詩群の中に夜空、夕空、星などが頻出するのは、まさに小学生の頃うけた強烈な印象が残っているからと推測します。
この私の小学生の頃から手元にある宮沢賢治の世界、特に影響を受けた銀河鉄道の夜、これは読むという行為にあってはさまざまなイマジネーションを我々にあたえてくれる不思議な世界です。しかし、本質を読み解こうとすると、非常に難解な物語へと変貌します。
私はこの宮沢賢治の世界が本当はどのようなものなのか、知りたく思い鈴木健司著「宮沢賢治という現象ー読みと受容への試論」という本を手にし、ジョバンニとカムパネルラのたどった銀河鉄道を、自分の足でたどってみようと思いました。
これから記すことは、鈴木健司氏の著作からの引用、紹介であり、それと自分のたどった
銀河鉄道の記録でもあります。


1、銀河鉄道の夜における銀河世界の成り立ち
 「銀河鉄道」は古典的な宇宙観における、「天球面」にそって敷かれていることにその本質がある。
 以下、銀河鉄道の夜(四、ケンタウル祭の夜)
 ジョバンニはわれをわすれて、その星座の図に見入りました。
 それはひる学校で見たあの図よりはずうっと小さかったのですがその日と時間に合わせて盤をまはすと、そのとき出ているそらがそのまま楕円のなかにめぐってあらはれるやうになって居りやはりその真ん中には上から下へかけて銀河がぼうとけむったやうな帯になってその下のほうではかすかに爆発して湯気でもあげているやうに見えるのでした。またそのうしろには三本の脚のついたちいさな望遠鏡が黄色に光って立っていましたしいちばんうしろの壁には空ぢゅうの星座をふしぎな獣や蛇や魚や瓶の形に書いた大きな図がかかっていました。ほんたうにこんなやうな蠍だの勇士だの空にぎっしり居るだらうか。ああぼくはその中をどこまでも歩いてみたいと思ったりしてしばらくぼんやり立って居ました。
 以下、(五、天気輪の柱)
 あああの白いそらの帯がみんな星だといふぞ。
ところがいくらみていても、そのそらはひる先生の云ったやうな、がらんとした冷たいとこだとは思はれませんでした。それどころでなく、見れば見るほど、そこは小さな林や牧場やらある野原のやうに考へられて仕方なかったのです。

 ケンタウル祭の夜、において、鈴木健司氏は以下のように述べています。
「ジョバンニが(獣や蛇や魚や瓶の形)の描かれた星座面を見て、「ああぼくはその中をどこまでも歩いてみたい」と思う少年であったことは、この物語が成立する前提条件である。銀河鉄道の夜は科学的物語である前に神話的物語として我々の前にある。」

 以下、(一、午后の授業)
 先生は中にたくさん光る砂のつぶの入った大きな両面の凸レンズを指しました。
「天の川の形はちゃうどこんなのです。このいちいちの光るつぶがみんな私どもの太陽と同じやうに自分で光っている星だと考へます。私どもの太陽がこのほぼ中ごろにあって地球がそのすぐ近くにあるとします。みなさんは夜にこのまん中に立ってこのレンズの中を見まはすとしてごらんなさい。
こっちの方はレンズが薄いのでわずかの光る粒即ち星しか見えないのでせう。
こっちやこっちの方はガラスが厚いので、光る粒即ち星がたくさん見えその遠いほうのはぼうっと白く見えるというこれがつまり今日の銀河の説なのです。−略ー」

 さらに氏は(一、午后の授業)において、賢治の当時の宇宙観は現在とそれほど違うものではなかったことを指摘しつつ、次のように述べています。
「(五、天気輪の柱)においての文章は作者賢治の脱科学宣言の意味合いを含むものである。」

「では、賢治は科学の否定の上に神話の実在性を構築しようとしたのか。おそらくそれも否である。ジョバンニを生徒という立場に設定したこと自体、神話と科学とが決定的な対立を生じないよう配慮された結果であると見ることができる。というのも(先生)は(大きな望遠鏡で銀河をよっく調べると銀河は大体なんでせう)と生徒たちに問いかけており、これは、銀河が星の集まりであることをしるには「望遠鏡」という科学を手にする必要のあることを示している。(先生)の科学は(望遠鏡)という媒体の上にはじめて成り立っているのであり、(望遠鏡)をもたぬジョバンニにとって、(先生)の科学は必ずしも万能ではない。」
そして、最後にこうしめくくっています。
「つまり、問題は科学と神話、先生と生徒という対立構造にあるのではない。ジョバンニがおとなになって「望遠鏡」という科学を手にし、銀河の星々を覗いたとき、少年の頃の
実感としての神話をどこまで保ちつづけられるか。その質が問われているのである。
そしてその答えは、ジョバンニにとっての銀河鉄道の旅という経験の中にのみ存在するのである。」


懐中電灯の明かりをたよりに立ち止まっては本を読み、記された道順をたどってきました。
ふと気がつくと、頭の芯のあたりに熱がこもったようになり、足がいつのまにか疲れていました。
ちょうど天気輪の柱がぺかぺか消えたりともったりしているのが見えてきましたから、あのあたりで休憩することにします。あたりいちめんのしろつめくさをなでる風が初夏の香りをふくんで私の鼻の奥のあたりをくすぐります。
すると、どこからか不思議な声が聞こえてきました。
銀河ステーション 銀河ステーション


散文(批評随筆小説等) 銀河鉄道の旅1 Copyright ワタナベ 2007-06-25 09:24:30
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