パソコン通信の思い出 2
渦巻二三五

collector さんから以下のコメント頂きました。ありがとうございます。
いっこ訂正っす。または便乗裏話と取っていただければ幸い。
フォーラムは、例えて言えば、楽天のショップをシンプルにしたようなものです。
「こういうフォーラムを開きたい」と思った人が企画書をニフティサーブに提出すると、面接を含む審査があって、許可が下り、有名なSDIで始まるシスオペIDをもらえます。>その前にニフティサーブの会員であることが条件なので、会費は支払います。楽天みた>いなといったのは、ボランティアでないというところを強調したかったので、物を売るわけではないです。まぁニフティサーブが課金を売るのをサポートする役目を負っていたというところです。
1995年の時点では時間課金があったので、メンバー数ではなくフォーラムのアクセス時間の総計に対して一定の割合で報酬がシスオペに対して支払われていたはずです。この頃、海外では「プロのシスオペ」という人がいて、人気の出そうな「フォーラム」(Special Interest Groupを略してSIGと読んでいたパソ通会社もありましたね)を複数作って人を呼び込み、それで食っていた人もいたと噂に聞きました。
「フォーラムって誰でも開けるものなんだ」ということを発見するまたは思いが至る人がごく少数だったので、シスオペはボランティアであるという噂が流れていたのも事実です。
---2007/06/18 15:53追記---


 自分の記憶を頼りに書いているので、こういうコメント頂けるととても嬉しいです。
 シスオペがなんらかの報酬を得ている、というのを知ったのはいつだったか、Fポエム(詩のフォーラム)でそうしたことを言う人があって、どうもそういうことらしいと知っただけで、はっきりとどこかに明記してあったのを目にしたことはありませんでした。
 実際はcollector さんのおっしゃる通りでしたが、どちらかというと、「シスオペが報酬を得ている」という方が「噂」のように囁かれていた感じだったと思います。
 それと、私が参加していたのは、文学フォーラムと詩のフォーラムでしたが、シスオペが報酬を得ていたにしても、フォーラムの運営という労力に見合う額であったのか、と考えると、どうも割りに合うものではないんじゃないかという憶測があって、あえて「ボランティア」との言葉を使ってしまいました。
 ですから、collector さんのコメント、ほんとに有難かったです。

 さて、F文学(文学フォーラム)に入会した私は、おずおずと、しかし怖い物知らずに書き込みを始めました。最初は、雑談用会議室に書き込みをしました。
 自分の文章が、手書き文字ではなくきっちりと活字になって表示される、そのこと自体、快いものでした。そしてそれが大勢の目に触れることを思うと、ただ自分のノートに書き綴るのでは味わえない高揚感のようなものがありました。
 さらに、自分の書いた文章に対してリプライがあると、ただもう何か不思議な出来事に出会ったような気持ちになって、浮かれていたように思います。今思うと笑ってしまいますが、リプライをしてくれるその人たちを現実に存在する人として実感することができず、なにかの仕掛けのように感じてしまう。もちろん、理屈ではちゃんとわかっているつもりでしたが、実際私にはとても奇妙で不思議な感じがしてしまったものでした。
 そのことを雑談会議室に書いたところ、
 「私たちが機械の中に棲んでいるかのように感じているような人とはまともなやりとりはできない」
 と言われてしまいました。
 そう言われて、私はびっくりして考え込んでしまいましたが、おかげでその人の言ったことを理解できるようになって、正しいことをはっきりと言ってくれたその人に今はとても感謝しています。

 電話回線でつながるその向こうに、人、人、人、がいて、私と同じようにモニタに向き合って文字を打ち込んでいる。そのことを自然に思えるまでには少し時間がかかりました。 こどもの頃から、すでに携帯電話のメールやりとりや、インターネットの利用が一般的だった若い人たちは、おそらく私が抱いたような感覚はあまりなかったのではないかと思います。 

つづく


散文(批評随筆小説等) パソコン通信の思い出 2 Copyright 渦巻二三五 2007-06-21 11:31:05
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