金属は湿っている
mizu K



1.
6月の鉄棒はいつも雨に濡れている
4月の体力測定で逆上がりができなくて僕はみんなにげらげら笑われた
それから夕方近所の公園で練習しているのだけれど
ちっとも足が上がらないうちに雨が降り出した

足じゃなくて腰をあげるの
僕の練習をときどき見ていたというお姉さんが見かねてそう教えてくれたんだけど
手本見せるから見ててね
って制服のまま逆上がりするんだもの違うところに目がいってしまって
僕はもうそれどころじゃない
どぎまぎしながら5月が過ぎてそれから雨が降り出して
わたし、うめかっていうからね
そう言って無印のねり梅をくれた
それからしばらく姿を見ない

晴れたら、こんど晴れたらまた練習しよう
鉄棒をぐっと握ると手の平から汗がじわっと出て
この鉄棒はどれだけの汗を吸ってきたんだろうか
ときどきねり梅の味を思い出して
つばを飲み込んでいる



2.
自宅の押入れの奥まったところに金盥がしまってある
この金盥をどうしても処分することができなくてこの歳になってしまった
もう私も長くはないのでそろそろ身辺整理をしなければならないのだろうが
簡単に始末できる代物ではない
この盥はまだあのときの赤子の血で冷たく光っているように思え
彼女と、ほんの少しの間母であった人の命がここに少しだけ留まっているようにも思われ

もちろんもう60年も前のことを話しても誰も見向きもせずただ私のまなこが
ときどき鈍く湿った金属のように8月のあのおぞましい光景を甦らせるのだ
喉が溶解してひっつくような熱い光と爆音、熱風、そして黒い雨
瓦礫のような集会所に逃げ込んだ人びとは
既にこの状況がただならぬものであることを察知してどこかおびえた目をしていた
その時、私の姉が突然産気づいてしまって
だれか、だれか!お医者さまはいませんか!だれか!
しばしの沈黙の後ひとりの初老が立ち上がり姉に近寄ったがふと私をじっと見た
君、ちょっと手を貸してはくれぬか
それから

ねえママ、ゲンバクってなに?
えーとね、ほらこの前愛知であったじゃない
トトロみたいなのがいたでしょ
あれの一種だと思うのよねー



3.
毎年この時期になるといっせいに学校が休みになってなー
という話を毎回父から聞きながら
田の境のごつい岩のてっぺんに腰かけておにぎりをぱくつきながら
9月の高い空を見上げていた
一家総出で稲刈りをするのは昔と変わりないが
休日にひと仕事すればなんとか間に合う兼業であった
機械化が進んだとはいえくねった田のぐるりを刈るのは手作業だ
乾燥した葉先や刈りくずから肌を守るため長袖、軍手、手ぬぐいぐるぐる巻き
鎌でざくざくと切る
たまに指もさくさく切って流血騒ぎ
というのはうそである

稲刈りは孤独な単純作業なのでいろいろ考える
いーつかはーだーれかさんとーむーぎばーたーけーとかいうけど
麦畑でもこんなにちくちくするのかなあ
っていうか麦畑でなにするんだろ
(小学生の想像力にはげに限界があった)

夕刻母屋に引き上げて鎌に付着した泥を落とす
洗い場でじゃぶじゃぶ洗って軒下に立て掛けてしばらく乾かす
おなかすいたなーと思いながら屋内に入ろうとしてふと見ると
軒下にそろって置かれた鎌が夕刻の光にどこかぬらりとてかついていて
もしかしてこの鎌はもう乾くことがないんじゃないだろうかと
台所からの煮しめのにおいに引かれながらなんとはなしにそう思った

父とおにぎりを食べたあのごつい岩は
圃場整備で粉々にされて今はもうない




自由詩 金属は湿っている Copyright mizu K 2007-06-13 23:32:35
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