かやのなか
いとう


自分の趣味で申し訳ないのだけれど、女性の書く詩が好きだ。
女性詩、あるいは女性性を持った詩、とも呼ばれるそれらは、
目に見えているのに決して触れられないもののような気がする。



贖罪



赤色の電球が落下して
横たえた体の真上で破裂する
透き通って赤いガラスの破片が
ゆっくりと飛散し
白い二の腕の内側や
粧(めか)した鼻のてっぺんや
潤んだ眼球に降り注いで
わたしはやっと
優しく微笑むことが出来る

それはいかがわしいホテルの
照明のようであったし
とても安っぽい
痛みであったし




現代詩フォーラムで名前を見つけたかやさんは、
その中でも、ひっそりと書いているほう。
http://po-m.com/forum/myframe.php?hid=2045
ひっそりと佇む人は好きだ。
自分自身をみつめながら、でも、それを客観視する視線を感じる。
事象の襞をめくり、その匂いを嗅ぎ分ける視線だ。



浴室



肌をすべる泡が灰色に変わりはじめ
見下げて
乳房から続く白い曲線や
つま先の綺麗な花色に
絶望する

口紅を塗らないのは
ちいさな爪を伸ばさないのは
この隙間を
みつけてほしいんだと

奥歯を噛んでけして言わず

汚いものはぞっとする速さで
そととなかとを侵す
その色はにびいろ
こめかみに手を当てて
黙祷するように独りごつ

おかあさん


愛のない乱暴さで
扱われたこどもが頬を濡らし
ごめんなさいと謝り続ける
のに
追いうちをかけるのは
鏡にうつる大人の顔

違和感はにびいろを生み
覆われて
栗色の髪も巻かれた睫毛も
現在さえ消え失せる
幼いこどものわたし
わたしのこどもは震えて
羊水のぬくもりを求めている


かみ殺した叫びに
浴槽の湯はほんの少し波立ってから
諦めたように
静かになるのだ




かやさんの視線の多くは内向きで、
小さな「私」について描かれることがある。
「私」であることがたいへんなこの時代に、
その不安定な「私」を見つめることで保とうとする姿勢は、
詩作においてある意味、基本中の基本であり、
その不安定さが露見することは、正しい、と思っている。
そこには嘘や誤魔化しがないからだ。
(嘘を含んだ詩や自分に酔った詩が、巷には溢れている)

自分の嘘を見抜く強さを、かやさんは持っている。
だから、かやさんの詩は、美しい。
とても美しいと思う。



詩人たちへ



もう読みたくはないのだ
わたしは明るい光のもやもやと
たゆたうなかに身を落とした
ここでは視界も聴覚も澱んで
生温くて居心地がいい蜜液のような

見詰め過ぎたのだよ秒針の動く早さとたどり着く先と
針と針の間を裂き開いてしまえば
残酷な黒い時が溢れ出すとも知らず
罰を受けたのだよ二度とその指で
太陽を掴もうとするなとイカロスのように

もう聞きたくはないのだ
詠うな絶望にひとすじの炎を揺らめかせた瞳で
惑するな病んだ詩人よ
健全すぎる精神に逃れたわたしを

ああ鋭く笑った美しい病魔が
指先をするりと汚していった





散文(批評随筆小説等) かやのなか Copyright いとう 2007-06-01 10:02:19
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