ふたつの曳航
前田ふむふむ

       1

ひかりは、不思議な佇まいをしている。
向かい合うと、わたしを拒絶して、
鮮血のにおいを焚いて、
茨のような白い闇にいざなう。
反対に、背を向ければ、向けるほど、
やわらかい静寂を、萌えたたせてくれる。
水彩画のようにみえる場所で、美しい衣装を、
尚、華やかせて、
わたしの、記憶を束ねた冬の荒野に、
澄んだみずを走らせている。
その音色に浸りながら、子供のように眠りたい。

それでも、背中を突き刺すような痛みは、――
どうして、消せないのだろう。
たぶん、わたしが受け止めねばならない、
積み上げた、あるいは、
捨てつづけたものの視線かも知れない。
茹だるような夏、汗で絡まる、
あなたの、何人ものあなたの、
細い腕を放してきた坂で、
打ち水をするあなたが、
打ち水を止めないあなたが、
あの痛みのなかにいるのかもしれない。

ふいに、ひかりに顔を向けると、
眼が焼けるようにとけて、
眩しさの手は、沈黙の襞で叫んでいる。

わたしは、ひかりを背にして、家族写真を撮っている。
そのとき、わたしは、もう夕暮れの街並みの雑踏を
歩いているのだ。
 
・・・・・・

雨の日に、傘を差して歩くみずたまりで、
ふたたび、あのひかりを浴びたいと、驟雨の耳元で
つぶやく。
時は、落ち着いた面持ちで訪れ、
灰色が流れるように消えて、碧い伽藍をひろげる。
ひかりは丁寧に、わたしに影を付けるが、
もう、あの日のひかりではないのだ。

影が、わたしを引き摺っている。

       2

橋の上から、川面をみると、褐色の線のうえで、
小舟が縛られている。
線は両岸の黒色の土手に飲まれて、
戸惑う鴨の親子が、揺れる水草を裂いて浮ぶ。
水草が、――
    うな垂れた人影に見える。

「あれは、みずではない。」

鼓動が、僅かに足のつま先から伝わってくる気がする。
耳で聴いた、赤く生まれた血の吹き出る空を、
わたしは、擦り切れた指先で、いまも覚えている。

あつく燃えたあなたは、乾いた声をあげて走る、
沃野が着る、うすきみどりに靡いて。
あの青々とした草ぶかい広場には、
高踏な書架の炎が溢れていた。

あした、晴れていたら、夕暮れが毎日通る庭園に、
碧いみずおとを、咲かせたい。
川のなかの鮮やかだったひかりの顔にも。

橋を左に曲がれば、見慣れた灯りが、
わたしを迎えてくれる。
わたしには、陽だまりのような小さな帰る場所があるのだ。

陽だまりに向けて、橋の下に眠る、
捨てられた句読点の群が、
わたしの背中を押す。

橋の透明な欄干が砕けて。

冷たい水滴が、わたしの顔を打ち、
寒々とした肉欲が、瞳孔の水底を流れていく。

窓のむこうの流れは、――
       夜明けの境界線がみえる。





自由詩 ふたつの曳航 Copyright 前田ふむふむ 2007-05-18 22:48:00
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