初夏の森には秋の風
佐々宝砂

何も見えなくていいのだ
握りつぶしてきた虫の数を数えてみようったって
できない
地球の反対側の生き死にだって見えやしない
私は限りあるイキモノであって
書物だのインターネットだのが親切にも教えてくれる
数々の雑多な情報を頼りに生きている

書物片手に森に行こう
町なんかどうでもいいのだ
町には人間と人間のつくったものしかありゃしない
ただし何も持たず森に佇めば
自分が人間であることをときに忘れてしまうから
片手には愛する書物を
なんでもいいけど
私の場合はラフカディオ・ハーンの『骨董』

キイチゴの茂みには
いつだって蜘蛛の巣とナメクジ
ぽつぽつと大きくなりはじめたシイタケの下には
必ずうごめいてる真っ黒なヤマビル
長靴と分厚い靴下で武装しても
こいつは私を食物と見なしてくれる
食って食われて森は森である

人間がいたという確かな痕跡である切り株に坐り
薄暗い木陰でたどる『骨董』の正字旧かな
明治は遠くなりにけりだかどうだか知らないが
外つ国の人が描いた明治の女は
非人道的なほど端正でけなげで美しい
いまどきあってはならないほど美しい

私は新緑に何ひとつ託そうと思わない
とりわけモミの新緑なんかには託さない
やつらは人間のことなんかかまっちゃいられないほど
長いときを生きる
はたを通り過ぎてゆく虫のことなんか
単にうざったいだけだろう?
私もそうだがモミの木にとったってきっとそうなのだ

美しい明治の女はすでに亡いが
ハーンが描いたのと同じ虫が
草雲雀という美しい名前の虫がじきに鳴き始めるだろう
森で
私の庭で
子孫を残すために切々と鳴き始めるだろう
あいつらだってあいつらなりに忙しいので
私の思いなど託せはしない

初夏の森には秋の風
夢をなくしてしまおうとも
諦めることを学ぼうとも
何ひとつ見えないまま過ごそうとも
また夏がくる
夏のはじめは
どうしてこんなにも秋に似ているのか
こんにちはとさようならを
同じ言葉であらわす言語みたいに
夏がやってくる


自由詩 初夏の森には秋の風 Copyright 佐々宝砂 2007-05-03 10:09:02縦
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