描くこと、書くこと、カクコト
はらだまさる


 僕にとってペンや筆をとって「描く」ということは、何かしら後ろめたい感じを引き摺っていて、どこか淫靡な行為のような気さえする。
 それは、白紙に描きつけるものが文字であっても絵であっても変わりはなく、人目に触れてはいけないような赤裸々なものだと云う以前に、肉慾的に処女を冒すような破壊的な感覚に近いのではないかと思われる。
 「描く」と云うのを、ある種の低俗的で野蛮な行為に喩えるのは少し凡庸過ぎるかな。まぁ、あくまで男性的な発想でしかないのかも知れへんけど、女性の方がより具体的なイメージを掴みやすい喩えであるようにも思う。
 僕が鉛筆を握ってその木の柔らかな軽さを指先で感じるとき、異質なものに触れていると云う微かな興奮が生まれてるのがわかる。青いステッドラーの丸みを帯びた六角鉛筆を手にした瞬間の冷たさが、僕の体温に馴染んでゆくまでにそれほど時間はかからない。そして芯を摩り減らしながら、果ててゆく様を性的に喩えてみるのもええやろう。

 僕が高校生の頃、放課後の美術室で大学受験のために毎日毎日、日が暮れるまで様々な静物をデッサンしていた。その頃が一番よく鉛筆と接していたんとちゃうかなぁと思う。
 授業で配られたプリントを上手に箱型に折って、その上でカッターを動かし鉛筆を削る。僕の筆箱には、芯が硬い3H(Hard)から順に「丈夫な」という意味のF(Firm)があり、黒を意味するB(Black)から6Bくらいまでを三本くらいづつ揃え、何度も削る手間を少なくさせるために、黒い芯の部分だけが通常よりも長いものに仕上げてゆく。これが結構、精神を集中させるので、削り終わった後は「さぁ、描くぞ」と云う気にさせてくれる。

 最近は鉛筆自体を使う機会がめっきり減ってしまい、文字は「書く」と云うよりも「叩く」ものになってしまった。嫁に無理言って買ってもらったステキ万年筆や、書き心地の良いペンで「何かを描く」ことはあるけど、鉛筆はほとんど使わなくなった。
 僕が詩のようなものを描きはじめた十代の頃は、鉛筆で無印良品のベージュ色をした再生紙クラフトのノートに落書きの延長線で、絵とも詩ともとれるようなものをしたためては、友達に読んでもらって嬉々としていたんが思い出される。
 当時のことを思い出し、少しおセンチになってそのことを悲しんだりすることはないけど、実際に描かれたものの内容や印象が変わってしまうのは事実やろう。今、こうしてここで描いてる(正確には叩いている)文字をそっくりそのまま、全て鉛筆で描き起こしてみると全く違う印象を与え得るやろうし、新たな発見もあるんとちゃうかなぁと思う。
 僕はずっと手書きの文字を描いていた事もあって、手書き文字で何かを表現することが卑怯なことのように思っていた時期があり、全ての作家に平等に与えられた表現方法としての活字であっても、活字それ以上のものを、絵はその絵以上のものを語らせなアカンと思っていた。そしてそれが出来んかったら、きっと僕が想い描く様な作家像には辿りつかんやろと考えていた。
 それから僕は徐々に絵は絵として描くように意識し、文字は文字として普通に書くようにしていった。それは、今まで同じ画面上で構成されていた絵と文字の訣別を意味した。
 絵に関しては今まで以上に精力的に「描く」ようになっていったが、パソコンの普及と共に「書く」ことから加速的に離れていった。


 しかし、未だに文字を「叩く」と云う感覚はどうも馴染まへん。このカチャカチャと云う気持ちの良い音が、どこかファースト・フード的な日当りの良い残酷さを彷彿とさせる。そう感じるのは、決して僕だけやないはずや。地面からはえてきた類のものではなく、地球に張り付けられたシールのようなコトバ ――― 。勿論、手書きでは描けない世界を、キーボードで産み出すことも出来る。それがアカンとは全く思わへん。寧ろ、そこに新しい詩の可能性が転がっているんやと思う。そやから、僕はそのスタイルを否定なんかするはずもない。
 ただスローと云う言葉が独り歩きするなかですでに到るところで語られていることやが、鉛筆を削る労力も、時間も、カッターで怪我するかも知れないリスクもないけど、あまりにも容易に言葉を現前させることに、世界が夢中になっている間に、人々が失っているものを考えると、ちょっと薄ら寒いものを感じてぞっとしてまう。
 

 文字を書く、ということ。
 絵を描く、ということ。
 カク、トイウコト。


 その指先の感覚で憶えた繊細な技術を毎日繰り返して思い出さんかったら、白紙のカンバスを美しく汚して、尚も多くの人々を喜ばせることは出来んやろう。
 

 いま一度、鉛筆を削って落描きでもはじめてみようか。
 ペンを握って、誰かに手紙でも書こうか。

 
 最近、仕事の関係で文字を書くことが多くなってきた。
 低俗的で野蛮だと冒頭でゆーたけど、文字を書くのはやはり気持ちが良いと再確認している。文字や絵を「カク」以上に低俗で野蛮な行為が、この世界にはたくさん存在することにしっかりと目を向けていかなければと思う。


                               (2006年4月18日)


散文(批評随筆小説等) 描くこと、書くこと、カクコト Copyright はらだまさる 2007-05-02 21:29:18
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