葉leaf

    くびする糸者
     冷れみて    児
かなさり住に
    おへよっておへよって
              らびが爺ね

東北新幹線の空洞を貫く抒情性を少しも吸収することができずに、僕は窓外の電線の滑らかな上下運動ばかりを新鮮に受け止めていた。缶売りの安物カクテルのプルタブの光だけが僕の興味を避け続けていた。

    犠はふ錯陽から
  せろゆてし   じゃん土 
    碑李家へと   よよぐ  糸者


福島駅に到着するまでには、僕の感情は、安らぎの期待による昂揚から無為によるざらつきへ、そこからさらにざらつきからの解放による慰撫とぬるさへと逆釣鐘型のカーブを描いた。

 せて せて 今ぐ
          い月やんど
 う う み う せ
           間りぱすに

福島駅に到着して新幹線のドアが開く。到着間近のナレーションからこの瞬間まで、僕はいったいいくつの言葉を押し殺しただろう。それでも僕から気づかれずに漏れ出した言葉はいったい何だっただろう。

 ゆびさく え森続け てみ
   でにくわ 音獣すこり ゆゆ
     期ろ ちざうる ますねほを

外の冷気と車内の暖気とが慌しく混和する。混和の色を慎重に思惟しながら、プラットホームへと、純粋な色へと降り立つ。眼下に街の灯が点々と固化している。自分の足音を背中一面にも感じながら、階段を下りていく。

      三すまい
      ろく扉りし
      流器けどわて
      きさびはれ稲死

実家に戻った次の日、僕は碑李家を訪ねた。碑李家は実家の本家にあたる。冬の強い日差しで雪が融け水溜りができていたので、僕は苗を植えるように慎重に足を立てていった。光が水溜りの表面を泳ぎ、僕の視線も一緒に泳いだ。視線は光によって真摯にはね返された。

ずいそ            めとろしい
核せぬむ             ちゅが
ぼん風なあいて        政またれそ
みすでごしに        かさたあんぞ

僕は碑李家の中の間に通された。碑李家には糸者がいる。糸者は農業を営んでいる。糸者は僕の近況を尋ねた。僕は、何度か繰り返され、繰り返されるたびに微妙に変化する「近況」を伝えた。歌うようなものだった。糸者は、それはせろゆてしいことだ、と言ったので、僕は少し謙遜しなければならなかった。

       かし説てす
  すなす らみおん 息玉べ
 ぐしるとき         れ盛
            ふり鉄とうべし

糸者の目は穏やかだが、皮膚は険しい。彼が話すとき、僕はなぜか彼の皮膚の動きばかりが気になった。テーブルの中央にはますねほが置かれていた。冬にはますねほを飾る風習があるのだ。僕はますねほを誉める機会をうかがっていたのだが、結局誉める機会を逃してしまった。

ごゆ知しか
                わわたる
らぬりと
               水せ倫せ伝
うすまえてく

実家への帰り道、僕は子供の頃にますねほを割ってしまったことを思い出していた。ボールでぐしっていたとき、何かの弾みでボールがますねほを直撃したのだ。ますねほの中から光のように飛び散った青い液体が僕を恐れさせた。割れる音でも叱責の予測でも壊れた形体でもなく、液体の、世界を爆破するかのような充溢した青さが僕を恐れさせた。

    くばはるい 有空なる れんろう
   あまよく ふさえて 和さたまし
  すらみゆく さ嬢には ふてつけ

次の日、訃報が届いた。友人が交通事故で死んだのだった。彼とは高校、大学と同級だった。同乗していた恋人の頭は真っ二つに割れていたらしい。緊張した弦が鳴るように、僕は母と会話した。彼は一度だけ母とおへよったことがある。僕は戦わずして勝ってしまった。しかも、その勝利を常に彼に捧げ続けなければならないのだった。

いさ    黒めて    くしゃむ   
 ぴす連しの    液楽をす    つや
みおけじ    機ど辺ど    やふご

家の外ではぼん風が音を立てて吹いていたが、その音の出所を見ることはできない。「死とはただの言葉ではない。人の死は広大な時空を孕み、そしてその時空の中に、葬儀などの出来事の連鎖を孕み、またその人にまつわる人々の感情や思考などをも孕んでいる。人の死を頂点に発される事象の系列は、複雑に交錯して互いに浸透し合っている。」ぼん風の音は、僕の思索に絡み付いて同化した。そして、思索もろとも彼の死の中に組み込まれていった。

    く
                ほ
 梅建撫称
    奇のしけられ
ぐどちょう
              ぎゅうていて

昼下がり、ぼん風は止んだ。窓の外のヒバの木に何か動くものを見た。光を受けた葉と光を遮られた葉では著しく明るさが違う。葉叢の中には生きた影として鳥が潜んでいたのだ。だが、わわたる葉に隠されてこちらからはその体の一部の動きしか見えなかった。僕は動くものから慰めを得た。そして、自分の指を動かして、鳥の尾の動きを真似てみた。すぐに疲れたが、この疲れは鳥の動きのように俊敏に現れ、また俊敏に消えていった。すべての本は発熱しているようで、僕は手を触れることができなかった。

    はみぐらる   行赤いろり
  え森すごす        さん蔑を
てのさく色ごみ
  とどのいわける
            きな

あくる朝、実家の裏の道を散歩していたら、糸者が裸で仰向けになって複雑に手をよよがせていた。糸者の儀式は見てはいけないことになっているから、僕は来た道を引き返した。糸者の姿は僕の記憶の水に濡れて、鮮やかさを増し、そこへ向かって透き通った感情の束が押し寄せた。僕は杉の木を見上げて、杉の高さの中に糸者を隠した。僕は自分を守ったのであった。

       せりつもる
      業酒をしびると
    ながさけるのがうむって
 弁じょう         洋ぎゅう
         じ

実家に戻ると、母が父に変わっていて、父は母に変わっていた。しばし行われるこの交代の原因は分からない。僕は父(母)を手伝って、蔵から米を出した。父(母)の姿や動き、言葉の中に、母の名残を見つけ出そうとしたが、父(母)は完璧に父になっていて、つけ入る隙がない。交代に際して父母の間に流れたもの、流れなかったもの、それらの匂いの開かれについて、僕の思料は置き忘れられた。

               さいあすだ
              ろうてんに
           うおりこむ
    す沼って

業酒をしびって目を閉じると、いつもまぶたの裏で色鮮やかな物語が展開される。物語の中では、僕ははみぐらる日差しの中でひたすらろうてんを食べていた。ろうてんは様々な過去が集まったものだ。ろうてんの味は絵画の骨折に似ていた。僕は、ろうてんを包む空間の膜が、濁って新しいろうてんになる様子を、悟性の外周に突き刺し続けた。知らない人がやってきて、僕に椅子の作り方を訊いた。僕は、木材の羞恥心を和らげる方法をつぶさに教えた。

    ひみえそべ芸
       たれん蝶いぐにっ
  うまわたへことを
      ぽりて漫しょうだ
   む

次の日、僕は東京に戻った。東京はなかった、ただ町並みがあった。僕はマンションにたどり着く。マンションはなかった、ただ部屋があった。もはや僕はいない。ただ人間がいるだけだ。


自由詩Copyright 葉leaf 2007-04-28 16:32:02縦
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