武士と猫
佐野権太

あいかわらず武士だった
参代する日でもなかろうに
女房殿に渡された温かい包みを抱えて
坂を下ってゆく

*

何やら人垣ができていて
たいそうなにぎわいである
隣の女房が遅い遅いと手招いている
あそこだ、と指差す先から
鉢巻を巻いた隣の息子が
斜めになって走ってくる
どうやら、かけくらべのようである
と、体重をのせた外側の足が滑って
どどう、と転げた
が、目は死んでいない
全力で崩れ落ち、全力で走り去る
その姿に胸を突かれ、さめざめと泣いた
殊勝でござる

*

騎馬戦と聞いて胸が高鳴った
拙者にもいささか経験がござる
背伸びしながら布陣を確かめる
(それっ、かかれ、回り込むのだ!
(ええい、何をしておる
(総懸かりじゃ!
法螺ほらを鳴らすのじゃああああ!
人垣を掻き分けて
前に出ようとした刹那
屈強な若者に襟をつかまれた


**


匂いを辿ると武士だった
弁当に箸を突きたてたまま
対岸のすすきが順番に傾いてゆくのを見つめている
にゆぅーと甘えると
白い飯と煮大根が蓋によそられた
首を伸ばして、しゃくしゃくいただく

*

転んだ幼子
母親が駆けよるより早く
腰を浮かした武士を
背中で感じていた

*

雲が流れてゆく
変わってゆくかたちを追いかけて
ぼんやり、鳴いてみる
厚いぬくもりが耳をたたむから
目をつむらずにいられない


自由詩 武士と猫 Copyright 佐野権太 2007-02-09 10:43:59
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