創書日和「雪」 雪睫毛
半知半能


雪睫毛、って言葉を
貴方に送る手紙の冒頭に書きたくなって
意味も勿論分からないままに
便箋を箪笥から出してきました


「雪睫毛」


二〇〇六年 十二月 三十一日 大晦日
午前六時某分

おばあちゃんが鴨川の病院で
息を引き取った

おばあちゃん
やっぱりおばあちゃんはお婆ちゃんより
おばあちゃんの方がいいですね、って
そんなことを亡くなってから一月もたって思い立つような孫で
少し申し訳のない気分です
思い出や懐かしみを
きれいな言葉にして並べることは
得意に思っていたつもりですが
いざ始めてみると
それもなんだか違う気がして
こんな感じです

僕はおばあちゃんにはいつも敬語でした
それでいいと思います

亡くなる一月前
僕がまだアメリカに居て
冬休みには帰国するかしないかなんて
呑気にもぼんやりと考えている頃に
おばあちゃんは入院した
何度も入退院をしていたおばあちゃんでしたから
何とかなるだろう、なってほしい
という気持ちを持ちながらも
僕は14時間の時差を甘受していました


ゆうちゃん
おばあちゃんは僕をいつだって
そうやさしく呼んでくれました
おばあちゃんからすれば僕はいつまでも
その小さな背に負ぶってもらっていた頃の僕で
ねぇ
大きくなったねぇって
僕もう3年も背は伸びていないよ
ねぇ

なんとかおばあちゃんが生きているうちに
ひとめ会いたいと
僕は日本に戻りました
病院の海の見える一室で
おばあちゃんは体を動かせずに
半開きの目で
僕が必死にアメリカで生活してきたことを伝える様子を
見てくれて
なにか言ってくれている様な、でも
もう人工呼吸器の音なのかなんなのか
ねぇ、分からなかったよ
ゆうちゃん
ゆうちゃん
って聞こえてたんですけれど
そうだよね
違うかな


おばあちゃんが亡くなって
ああ
と、しか思えず


一月三日、三箇日内にも関わらず、遺体の状態などを考慮して葬儀と火葬が行われた
葬儀の前に一目見たおばあちゃんは
まるで人形のように小さく
もののようでした
ずっと無感動に式を過ごし
骨壷の奇妙な生温かさが印象的でした



踏みしめられていない雪原のような冒しがたさを湛えた白い肌
遠い約束を待つように閉じられた瞼
動くことのない雪睫毛



ボストンは今年はとても暖かくて
葬儀も終わり正月明けも早々に再渡米してからも
しばらく雪は降らず
やっと最近少しずつ降るようになりました
ちらちらと舞い落ちる冷たい雪を見ていると
なんでかおばあちゃんを思い出します
おばあちゃんと一緒に雪を見たことはなかったけれど

くじけないでね、って
それが海を越えたところにいる孫への
最後の託し言だった


ねぇ、おばあちゃん
一人で過ごす今日の夜は
熱した眼に雪を受け止めて
今更に泣いても、いいんでしょうか 
朝の寒さに涙が凍り
雪の合い間に隠れないうちに




 


自由詩 創書日和「雪」 雪睫毛 Copyright 半知半能 2007-01-31 16:12:48
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