清野無果「■批評祭参加作品■ネット詩fについて」を読んで、インターネットにおける言語表現について
田代深子

http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=100523

 〈ネット詩f〉という語に託し、インターネット上における新しい文学としての「ネット詩」に可能性を求めたこの論考は、対象があまりにも膨大かつ玉石混淆であり、またまさに現在進行形であるため、分析としてはいささか説得力に欠けるものとなってしまった。しかし清野自身も身を置く、この新しいメディアにおける言語表現を「対象」化しようとした試みそれ自体は、もちろん我々に示唆を与えてくれる。

 先日、とある講演会において小説家の高橋源一郎が述べていたことであるが、現代の若い小説家たちには(文学の)歴史がない、という。彼らには、いわゆる古典作品の読解(評価)について共通認識がなく、そればかりか読書経験がまずない。このことは、「ネット詩」についてさまざまに述べられてきたのと同様である。彼らは手本となる先行作品群をほとんど知ることもないまま、書き方を学ぶ要請もまたなく、インターネットにおいて書くことを始められた。そこでは文学的に何の準備もなくても、ただ「いつも話すような感じで」もしくは「なんとなく聞いたことのあるように」書けばよかったからからである。
 「話すように書く」「聞いたように書く」。清野も引き合いに出したように、ここで明治期の言文一致運動とインターネットの言語表現の共通性を想起することができる。しかし清野が展開したのは言文一致運動の多大な担い手として近代文学(内/外の葛藤)が誕生し発展したのと同様、インターネットにおける言語表現も新たな文学(新たな内/外の葛藤)の担い手となるべきであろう、という、いわば彼の希望論であった。対して私が思うのは、清野が気づき指摘していながら「メディア特性」として言及を止めてしまった、インターネットにおける言語表現、文体のあり方そのものについてなのである。

 さて、明治期の言文一致運動は、まず何をおいても近代日本の国語を作る必要性にかられたものだった。

 日本の文章は、漢字渡来以後中国文化の影響を強く受けたので、漢文が男子の側で公私にわたり広く用いられ、一方 かな の発明により平安時代に女子中心の口語体の かな文がおこり栄えたが、鎌倉時代ごろから口語と文章の差が大きくなって言文二途に分かれて言文不一致になり、以後和漢混合のさまざまの文語文体が次々と現れて江戸末期に至った。明治維新後の日本の近代化にあたって、言語文化の面で直面した困難な問題は、近代的な人間の思想や感情を、自由に十分に表現できる近代口語文体をどうして確立するかということであった。しかも日本語の場合には、元来外国の文章である漢文体と、古語の文法に拠って民衆には通じがたい和漢混合の文語文と、この二種の前近代的な文章の克服が必要であった。
(山本正秀「言文一致体」『岩波講座日本語10 文体』1977)


言フ所書ク所ト其法ヲ同ウス以テ書クヘシ以テ言ウヘシ……アベセ二十六字ヲ知リ苟モ綴字ノ法ト呼法トヲ学ヘハ児女モ亦男子ノ書ヲ読ミ鄙夫モ書ヲ読ミ且自ラ書クヲ得ヘシ
(西周「洋字ヲ以テ国語ヲ書スルノ論」、1874)

 江戸期において都市住民などの識字率が高かったことは一般に言われるところであるが、それは明治期に求められた近代国民の国語とは違っていた。為政者にとってみれば、新しい国語によって普く国民は教育され、近代国家日本の人的資源とならなければならない――そのための言文一致という側面が強くあったのである。公文書の合理化という意味でも、表記統一と簡易化が求められていた。もちろん江戸期から口語において「共通語」の自然な形成はあったが、特に書き言葉、すなわち文章の表記規則の統一は、教科書・新聞・小説などでそれぞれ意図的に試みられ、取捨選択されていくことになる。明治期の言文一致運動は文学においてのみあったわけではないし、まして文学に資するためにあったのでもない。とはいえ文学の、ことに小説の文体が、近代日本語文章表現の実験場となったのは疑いもないことである(スガ秀美『日本近代文学の〈誕生〉』〔1995〕では、そこに潜在する政治性も指摘されている )。
 漢字廃止さえ提案された言文一致運動の具体的試行錯誤は、結局のところ語尾の用法に帰着する、とも指摘されている。二葉亭四迷は下品で俗とされる終助詞「ダ」を敢えて選びとり、「いかにも下品であるが、併しポエチカル」(余が言文一致の由来)な小説文体を目指した。また彼はロシア文学の翻訳経験から、自らの小説に「!」「?」などの記号を用いて、後に続く小説家たちに、そしてその読者たちにも大いに刺激を与えた。こうした「新鮮な」小説文体による日本語表現全体への影響は、インターネット時代である現在にもなお続く。たとえば村上春樹や町田康などの文体は、それ以降の若い作家たちと読者たち、彼らの書き散らすインターネットの言語表現に、抗いがたく影響を与えている。だが二葉亭四迷に連なり変成し続けるこれらの文体は、はたして「言文一致」した言語表現であったろうか。そもそも、このようにわたしが書いている「論文調の」文章など、話すように書かれたものではあり得ない。
 文語文は、中国の文体を日本語として読み解く外国語である。それに比べれば現代の書き言葉と話し言葉の文法は一応同一であり、書かれた文体をそのまま日本語として音読することが可能だ。しかし書き言葉と話し言葉は本質的に違っている。それは文体が含有する時間量の違いであると言えるだろう。話すとき、われわれは感嘆詞や擬態語を突発的に多く用い、名詞一語で終わることもあれば、動詞から始まるバラバラな語の並びを投げ出しもする。文章を書くときのように、あらかじめ語順や用語をよく吟味して話し出すことは、そうあるものではない。逆に言えば、書き言葉とはすなわち吟味の時間をあらかじめ含有している言語表現なのである(しかしその「時間」即ち「内面」なのではない)。
 インターネットにおける言語表現が特殊性を帯びるのは、話す時間のうちで書かねばならないからではないだろうか。話し言葉のように、他者との交渉に曝され、徹底して他者に委ねられる、「時間のない」書き言葉。時間がないために、語尾や用語はいっそう使い慣れて簡易な話し言葉に接近していく。それでも肉声で話すよりキーボードを叩くほうが人間の反射としては時間がかかるわけで、さらに言葉を簡略化してしまわなければ、話すほどの速さで書くことができない。語尾につける「w」などのように、略記号でもあれば形象記号でもあるような文字の使い方は、そうした「時間のなさ」から生まれてくる。
 インターネットにおいて「話すように書く」ということは、「話す代わりに書く」に近く、またそのつもりで書いている者が非常に多い。だから膨大な数の人々が、読むことよりも書くことを選ぶのである。対話しているとき、我々は相手の話を聞かねばならず、その介入によって次に出す言語は初め意図したものからずれていく。それこそが対話の意義である。しかしインターネット上で書かれる文章は、遮られることや方向変換を迫られることのない独語として、延々と続けることが可能だ。逆にチャットや掲示板など、コミュニケーションの「流れに乗る」のであれば、独語は無視されるか必然的に攻撃される。そのときの言語表現は、文体・言語体系として遺漏なく成立しているものよりも、全体の流れに即したものであることが優先される。そこでわれわれが書き、読んでいるのは、それぞれの文章や思考体系などでない。その場で執り行われている複数人による交渉の経緯、状況の流れそのものなのである。
 こうした中で、一塊りの作品として言語表現を書き著すことにどんな意味があるのだろう。それを清野は模索しようとしている。清野自身の言うとおり「インターネットに特有の文学」といった存在は、現在においてはなおフィクションである。清野がとりあげた たもつの詩に関して言うならば、確かにインターネットという媒体がなければ世に発表されることはなかったかもしれない。

 インターネットのホームページ上で詩を書き始めて間もなく四年が経とうとしています。最初は自作プログラム発表の場として立ち上げたホームページでしたが、更新頻度の高いコンテンツが必要だということで思いついたのが詩でした。以来、一ヶ月に十〜二十ほどの詩を書き、発表しています。
 「ネット詩」という括り方があるのであれば、それは「ジャンル」としてではなく「文化」としてあると思っています。インターネットの特徴である双方向性と即時性を最大限に活用し、詩は鍛えられ、育て上げられていきます。しかし、その双方向性と即時性により、詩は劣化もすることもあるし、閉塞的にもなっていきます。
(たけだたもつ『こっそりとショルダー・クロー』2005 「あとがき」より)

しかし彼の作品群は、「近代的自我」を俯瞰する視線が優れて「ポストモダン的な詩」であるとは言えるが、インターネットにこそ現れるべき作品だったかと問われれば、そうとは思われない。たもつ自身は自らの作品がインターネットの「双方向性と即時性により」「鍛えられ、育て上げられ」たと言うが、それは発表した作品の爆発的な広まり方、他者を介してから再度自作と邂逅するまでの速度の速さを言っている。彼の作品の自律性は、高速な反応によって鍛えられ強化されこそすれ、変質するものではなく、その意味でインターネット特有の言語表現からはほど遠いところにある。
 インターネットの高速さが言語表現のみならず表現主体にまで影響をもたらし、その様相がさらに作品にフィードバックする。言文一致運動のうちで文学によって逆説的に内面が発見されたようにである。それが「インターネットに特有の文学」なのだとすれば、未だ「文学」として形成されないまま、無数のブログや掲示板に書きつけられる言語表現がこそが、すべてそうだとも言える。とりあえずそうした極論はおくとして、ここで思い浮かぶのは最果タヒの作品群である。彼女の作品は、柔弱なゲル状の粒を集めたような、とりとめのない語の集合体として表されながら、その質感によって一体であり、かつ質感のみが作品の本質である。彼女自身のインターネット上での振る舞いと同期するように、その言語表現は他との関係性と影響に怯えおののいている。怯えおののきながら関係性を飲み込み、それにより変化しているようでいながら、徹底的に独語としてある。独語であるということがどういうことか、と改めて問うならば、自我が自我であることを認識しないまま漏れ出る言語表現であろう。インターネットの速度が、そのような言語表現をあらしめている。げんに最果タヒがどのような制作過程をたどっているかが問題なのではない。最果タヒが発見した言語表現の可能性は、すでにしてインターネットにあふれる無数の独語の先にあったということだ。
 インターネットにおいて「話すように書く」ということはすなわち、他者と自我とが、同時にその表現と出会うような速さで書く、ということになっていくのだろうか。だとすれば、現在ポピュラリティの高い小説群が、紋切り型の言語表現の集積となっていることも、逆説的にうなづける。インターネットで書くことを始めた若い作家たちは、数少ない文章経験の中から拾い上げてくる紋切り型の表現を自動書記的に並べることから始めるしかないのだろう。しかし、やがて速度はもっと速くなる。紋切り型を整えることすらできないほどに。そこに記号が登場し、印象と質感だけを基調とする言語群が表現として現れる。それが文学の可能性と、言えないことがあるだろうか。


散文(批評随筆小説等) 清野無果「■批評祭参加作品■ネット詩fについて」を読んで、インターネットにおける言語表現について Copyright 田代深子 2007-01-31 02:03:44
notebook Home 戻る  過去 未来