アレクセイ
和泉 輪

重工業集積地域を有する日本海に面した地方都市を、分断するように突き抜ける主要幹線道路国道8号線。その通りにある大型電機店の二階、超高画質薄型液晶テレビの前で私は見知らぬ年若いロシア人と隣り合って同じ画面を見ている。ロシア人はこの街では決して珍しい存在ではない。貨物船に自動車や材木などを積み込み、回遊魚のようにウラジオストクとこの街を行き来する。この街での彼らは寡黙で思慮深く、眼を沈殿させながら大きな体を折りたたむようにして自転車に乗り移動する。だが日本語も英語も話せない。この街にとってロシア人はもはや日常を構成する一部分であり、それと同時にどうしようもなく他者だった。彼もおそらくそうだろう。伸びきった手足、白い肌に映える紅潮した頬、明るい色の瞳。もし名が体を表すのなら彼はきっとアレクセイに違いない。アレクセイは黙って画面を見つめている。誰かの離婚や昨日の事故。そのようなことが日本語で語られ、彼はそれをじっと見つめる。私は何かを話しかけたかった。今まで一度としてそのような気は起こらなかったのに、彼らと共有する日常に横たわった静かな断絶が急に寂しくなった。


その気になれば深海の奥やヒマラヤの頂上、大統領官邸やマチュピチュ、火星の荒野でさえも映せるのだろう?テレヴィジョン。ならばおまえは今日ここで今すぐに、おまえを見つめる歴史と出自が異なった二つの魂から生じる一つの断絶を回復するための映像を選んで流すべきだ。たとえそれが展示されている間の義務ではないとしても。

ロシア民謡と終着するシベリア横断鉄道。短い夏について、或いは長い冬について。友人のことや恋人のこと。そして家族との懐かしい想い出を私は彼の口から聴いてみたい。そしたら私は本当に泣いてしまうかもしれない。アレクセイ。私にも君の名前を教えてくれないか。


自由詩 アレクセイ Copyright 和泉 輪 2007-01-18 16:36:12縦
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