ポイントについて
黒川排除 (oldsoup)


 写真が嫌いだ。風景写真は好きだが人間が写り込んでいる写真が大嫌いだしじぶんが写り込んでいようものならその写真を処分するためにおまえの妹の身柄を確保して交換条件にしたいぐらいに嫌いだ。思い出は必要だがそこに生身のじぶんが写り込んでいる必要なんてどこにあるんだと思う。他のものに頼らずおぼえられるだけの範囲が思い出でいいんだよ、とじぶんの中で見切りをつけていたらまったく物覚えの悪い子に育ってしまって、バイト先の常連さんの名前が全然おぼえられずに先日「もういい加減おぼえてよ」って笑いながら怒られたぐらいでにんげんってこんな不自然な表情ができるんだあ! と夜道を用心せずにはいられなかったがおれはそれほどまでに物覚えが悪いが変なことばっかりおぼえている。くやしいこととかは特に。

 現代詩フォーラムはポイント制だ。そしておどろくなかれ、oldsoupはポイントが欲しいのである。どれぐらい欲しいかというとログインしたあとの現代詩フォーラムというロゴの下の赤い文字にびっくりしないようにログイン直後は目を背けているか目を閉じているかブラウザで違うページを見ているかするぐらい欲しいのである。まあ大抵別の意味でビックリするんだけど。

 とはいえ難しいものでポイントが欲しいと書くことでポイントを得たとしてもそれはそれでスネてしまうところがあるが矛盾しているものを解決できてないだけなので気にしないように。おれだけ気にする。気にするといえば結局ポイントが入らないというこの……なんていうんですか……事実……があるわけだがその点に関しても平静を装う必要がある。元号が平成だからといってそうやすやすと平静を装うことができるわけじゃないが口さえ開かなければポイントが当たらないことに関してみにくい姿をさらけ出していやらしいわたしを見てッということもないのだがこの点に関しては本当にポイントがいらないポイント界のガンジーみたいなひともいるだろうからおれがおれがという点だけに絞って書く。それにしても新しく入会(にゅうフォーラム?)したひとで10作品ほど出しているのに二進法みたいなポイントの取り方してるひととかいるもんだがよくめげないなあと思うわけではある。精神構造が違うのかなあ。爪のあかを煎じて飲まさしてください。手料理を作ってください。ピラフが好きです。

 その一連のおれの中の、見ているひとたちにはどうでもいい羞恥プレイ的な情動がくやしさである。残念なことのひとつには今書いてきたようにくやしさを隠しに隠してきたためにくやしいと思う感覚が麻痺してしまったということがある。そしてもうひとつがサイトのトップページにログインすると見られるトップ10である。ためしに現在のトップ10をコピーアンドペーストしようかと思ったが別に最近のはいつ見てもかわらないのでいいや。昔はあれを見ては悔しがっていたものだと思い出すわけよね。それはもう店の常連さんの顔も名前も憶えないほど記憶力の悪いおれが猛烈に記憶するぐらいに。どれぐらい昔かというととっぷてんに並ぶ作品ことごとく一桁のポイントであった頃ぐらいのむかしだったが、そのころには、正確な題名は失念したけど「テーブルの上のフランチェスカ」が13ポイントか14ポイント取っていてくやしくてくやしくて昼食のラーメン食ってる箸が震えて麺を取りこぼすぐらいにくやしくて仕方がなかったわけだ。今そのトップ10を見てもなにもくやしくはない。これはスネているのではない。断じて違う! かわいそうな目で見るな!

 さてはてソレはなんでだと考えたときに思うのはバリエーションがないというか見慣れた特定のひとがいつもトップ10にいるということだ。KinKi KidsやB'zがいつもオリコンのトップにいるような不信感を感じるわけじゃないがトップページのトップ10がいわゆる常連さんで占められるようになるとさすがに物覚えの悪いおれも名前を憶える、じゃなくてトップページにそのひとの特設コーナーが儲けられてるようなマンネリを感じる。酒屋に入ってすぐアサヒ、のようなマンネリを。この場合は別にアサヒスーパードライとトップ10の常連が一緒くたでもよい。人気があって取っ付きやすく、中身も優れているからね! アハハ! つまりこのばあい彼(彼女)という名前のカテゴリーがトップページに常に存在しているようなものである。余計なカテゴリーは存在しない方がいい。どうせのちのち個人個人の頭の中で増えるカテゴリーをわざわざ増やしてもらう必要もない。おれが批評祭に参加していないのも余計なカテゴリーをおおやけに示したくないからだ。だがこう言っても良かろう、すげえ目立ちたいのだ! おまえ批評散文エッセイの項目みたかよ! 黒い四角ばっかりだぜ! そんな中で黒い四角を付けるよりは付けない方が目立つだろう! あ、あと、今更参加したってもうだめだよ! という諦めもあるなあ

 フォーラムに参加している人数が多いのにあるところからポイント数が頭打ちになって100を超えるか超えないかのところでいったりきたりしているのもそういういまさら!的なバランス感覚がうまく働いているものだと感じる。そういう頭打ちなところもトップ10に限界を感じる点のひとつだがやはり、「そのひと」という名前のカテゴリーが常に存在している状態がキツい。いつのまにか、うわあ、あのひと人気あるんだなーとは思ってもそれ以外のことはなにも思わなくなってしまった。トップ10である理由が作品の質なのか作者の人気なのか分からず混乱するようになってしまった。むかしのようになぜその詩にポイントが集まったかを考えて貪るように読み貪るように書くような目線でトップ10に接することが出来なくなってしまった。ここまで書いておいてなんだが別にトップ10が何の役割も果たしてないと考えているわけじゃないんだ。有用に使ってるひともいるわけだし。楽しむ方法がないわけでもない。ポイントが高くなる前の作品からポイントを投じておいて、後日ポイントが増えるとともに「昔はあんなひとじゃなかったのに……彼は変わったわ」とか報告するキャサリンになっても楽しいが。

 とはいえ、トップ10をx(バツ)できる機能があれば喜んでクリックするつもりだ。mixiかここは。つまりどの作品に人気があるのかは別に知りたくないというわけだ。本当は無数に日付け順に立ち並ぶ作品群のどれがどのひとの作品かということもわかりたくない。匿名ってやつですよ旦那。古くからこういう願望は他のひとの胸にもありときおりその考えが暴力的に立ち回るのを見ることもあった。ただおれの場合は、ハハッ、そのひとの作品だと隠してもらっても後日タネあかしがあって「この作品は、このひとのものでしたー」って言われた時点で普通に幻滅してしまうようなダメにんげんなので単なるわがままである。ジコチューである。じぶんスキスキスーである。「じぶんの作品は本当は優れていて名前さえ隠してもらえればたくさんポイントがもらえるはず」とかいう妄想にしょっちゅう駆られるぐらいである……ッ。そしてその惨憺たる結果も予想済みだ! また、相手の立場で「もしじぶんが毎回あんなに高得点をもらっていたら結局ポイントはじぶんの作品を判断する基準にはならないだろう」ということもかんがえずみ!! まあこの辺は中居正広の番組のCMも中居正広、みたいな考え方なのでサクッと流し読みしてもらってもかまわないが、とかくそういういらなくもありむなしくもある想像をポイント状況から喚起しはしてもそこから燃えるような熱情をくみ出すことは困難になってきた。

 ここまでポイントについて長々と書いてきたがおれはポイント制度が気に食わないわけでもない。むしろ好きだ。なにかいびつで形骸化したような感想をつけられるぐらいならさっとポイントを付けられた方がジェントルでブリティッシュだ。そういったポイントをたくさん稼いでいるひとも作品も全然悪くない。多分すごい。だけど実際には無関係な感情とリンクしている、感想のように形骸化したポイントがありそれがいかに無味乾燥としたものであるかを書きたかった。そんなポイントを与える側にそれが無意味であることを伝えるべき、伝えたい、アナタニ、ツタエタイ……のだけど、無数に付いてるポイントの性質を見極めて一個一個キミキミ、だなんて不可能であるからもう諦めた。読んだひとだけ感じて。ポイントは目的地じゃなくて燃料なんだということを。


散文(批評随筆小説等) ポイントについて Copyright 黒川排除 (oldsoup) 2007-01-08 09:22:04
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