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2011 12/20 11:38[416]
ふるる

『パウル・ツェランとユダヤの傷 《間テクスト性》研究』関口裕昭著 読みました。

というのは嘘で、途中途中で疲れちゃって、全部ちゃんと読んでない。ツェランの詩が、どの文学、地質学、天文学、生物学、医学、哲学、心理学、神秘主義思想、船員用語、イデッシュ語の歌などから引用をしているか、誰に会ったときのことか、どんな人や思想に影響を受けているか、(それらのことを間テクスト性と言うらしい)ということが詳しく書いてある。
特にユダヤ神秘主義からの引用のある詩だとさっぱり意味が分からないので、背景が分かるだけでだいぶ違います。
ツェランの詩は、意味不明なもの多しですので。でも、それが何かひっかかりを生むというか、魅力というか、単なる分からないじゃなくて、後ろには何かすごいのがあるんだろうなあと思わせる。

例えば、
「三母音の長さだけ/高い赤の中に/立っている、」(「お前たち、闇の鏡の中に」より)という詩の一節は、

「三母音はヤハウェの神の文字間に隠された母音のことで、高い赤は赤い夕陽に神を重ね合わせたイメージで、」

って分かるか〜!

けど、こんなふうに詳しすぎて一節ごとに解説があって、読むのに疲れます。
詩の言葉の意味を、区切って解釈していくのを読むのって苦手。
もちろんその後、全体としての解釈もあるんだけど。 そうしないとほんとにちんぷんかんぷんの詩が多いというのも分かるんだけども。

地質学の専門書の一節からほとんどの語句がそのまま引用されている詩や、ほとんどすべての単語がショーレムというユダヤ神秘教研究者の著書から引用されているモザイク詩もあって、カフカやフロイトの著書や研究書からの引用もあり、それらを知らないとツェランの詩を読み解くことはできないんだなと分かりました。

ツェラン自身も読者にユダヤの文学や宗教の知識を要求していたというし。

著者が繰り返し繰り返し言うのは、ツェランの詩はユダヤの文化という背景があり、同時にそれは民族の負った傷であり、理不尽な死を強いられた亡き同胞に捧げられているものである、ということ。引用は、死者との対話だということ。
あと、ツェランの詩が分かりにくく、明快さを避けるのは、アドルノがツェランについて言ったように「生命のないものの言葉は、あらゆる意味を失った死に対する究極の慰めとなる。」ということ。感情のこもらない言葉を使うこと、死者の代弁を生きているものの勝手にしないことが、ツェランの死者に対する想い、詩の姿勢だったってことでしょうか。

アドルノは「アウシュヴィッツの後に詩を書くことは野蛮だ」「アウシュヴィッツ後のすべての文化は、それに対する痛烈な批判を含めて、すべてゴミ屑である」と言いましたが、ツェランはひどい体験からも、ドイツ語からも逃げないで、生涯をかけてそれに答えていきました。

ツェランの詩はただでさえ重いんですが、その中の「薔薇」がカフカの小説を下敷きにしていて、実は「傷口」のことなんだという解釈は、読むのがさらにつらくなっちゃいますね。
でも、気になる作家や哲学者には手紙を送ったり会いに行ったりして、意外に社交家だったんだとわかりました。

ツェランの蔵書から引用の典拠を探り当てる作業は膨大で、著者は15年を費やしたそうです。その根気と根性に敬意を表したいです。