2007 03/16 11:19[62]
ふるる
コミュニケーションにしろ、何かを読むにしろ、すごく複雑で矛盾なことをしているんだと思う。
まずは、「この言葉はこういう意味に違いない」という定義をしっかり作り(本当は定義なんか曖昧なんだけど)、「こういうことを言っているに違いない」と解釈する(それは想像の域を出ていないけど)ということをしている。感じ方も考え方も全く違うのに、「この人の言っていることは私がした解釈と同じだろう」と思い込む。それは神様を信じるがごとく強固に。なのに同時に「人それぞれで感じ方は違う」ということも信じている。信じる度合いは違うけど、自分と全く同じ人間がいないということはみんな分かっている。
ある所では「同じだろう」と思いある所では「違うだろう」と思う。同じならやっぱりな、だし違ってもやっぱりな、だ。同じで違う。いや、同じってことは本当はないのかな。一応そのルールに従いますよ、ってことで。鬼ごっこのルールに従っているということだけは同じだけど、あとはばらばらだ。
しかし、鬼ごっこを「楽しむ」というルール、これは誰かが決めたのじゃなくて、わりと本能的な喜びから来るんじゃないかな。
食事を共にすれば、「美味しい」は同じで、「やっぱり同じ」ということが分かる。だから、好きな人とはご飯食べたい。
結局、コミュニケーションできた、読めた、理解できた、解釈された、読み込んでもらった、というのは全て思い込みなのかもしれない。みんながその思い込みを信じて生きている。「あなたと私は同じである」という幻想を。あるいは、「違う人間なのに分かり合えた」という幻想を。私は、自分の脳内で作り上げた幻想の中で生きているのかも。別にいいけど。sage