2008 07/17 10:11[206]
ふるる
下の続き↓
デリダの主張するように、コミュニケーションが常に誰かの言ったことの繰り返し、引用、積み重ねなのだとしたら、確固たる自分の主張というのはなくて、借りてきたぐらぐらする積み木を急いで渡すみたいなものか。
その積み木は、受け取った瞬間にばらばらになり、元通りにはできない。だとしても、発信者側の意図は残るけど、それは中心でも根本でもない一つのパーツ。つーことは、それぞれが勝手な解釈で勝手に人の言ったことを引用しながら生きていて、この世は「理解できた」「理解された」という誤解だけで動いてるのかも。言葉というのは「言いたいことをきちっと伝える」ためでなく「誤解のためのイレギュラーな装置」としてあるのかもしれませんね。sage