2008 04/30 16:12[188]
ふるる
「死と身体」内田樹著 の中のいいなーと思った一節。
「(読むときに)入ってくるのは「意味」ではないですね。・・中略・・ 意味性と意味性の有機的な連関、「テキストの身体」なんです。テキストにぼくの身体が反応している。読むと言う行為はほんとうはそこから始まる。息づかい、リズム、テキストの身体性を経由して、そのあとに意味性に到達する。」
思わず長く引用しましたが、ありますよねー。川端康成の小説を読むと、なーんかソワソワするし、太宰治内容は重いけど、どっか遠くを見るような、涼しげな感じがする。一言で言えば「文体がそうさせる」んだろうけど、文体の持つ「息遣い」って何がどうなってるんだかちゃんと分析した人っていないでしょ。それを言葉で説明するのはほとんど不可能に近い、と村上春樹も言ってるそうです。それは、作者の理想の人物が語るように書かれているのか。あるいは、集合的無意識的な声なのか。あるいは、読む側の錯覚する能力なのか。
「詩」という形や書き方が好きなのは、何か、小説とかでは味わえないような身体があるからか。なんかやらしいな。
前々から思ってたんだけど、「趣味は読書です」っていうのと「趣味は女(男)遊びです」っていうのとはほとんど同義じゃないかと・・・。読み始めるとすごい貪欲ですしね。
sage