起承転結、俺物語/狩心
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 青山スイ 
- ペポパンプ 
- soft_machine 
- 藤丘 香子 
 
作者より:
<アズキネコ>さん
<藤田揺転>さん
<青山スイ>さん
<櫻井 雄一>さん
<ペポパンプ>さん
<soft_machine>さん
<藤丘>さん
<モンクーロウ>さん

こんな短い作品は、初めてでござんす。もこもこもこ

<アズキネコ>さん
ieie、こちらこそ、いつもお世話になってますmmこれからも末永くヨロシク。

<櫻井 雄一>さん
むむむ。恐縮でございまし、、人生色々、十人十色でございまし。
一つの知識、いや、一つのネタとして、
私の何かが<櫻井 雄一>さんにモッコリして頂ければ、幸いでございまし。

この「まし」っていうのは<アサリナ>さんの真似です。
深い意味はありません。テンションを表します。

<モンクーロウ>さん
おおお、コメントありがとう。
狩心の性格上、意外なのかな、それとも、書き方の問題なんだろうか。。w
なぜ、「なぜ」ばかり追い求めていた時期があったのかというと、
簡潔に言えば、世界を捉えたかったんですね。んで、
哲学的または分析的な人間が、人生の経験をほんの少し積んで、
対象や出来事に対して「なぜ」と問うよりも、対象や出来事をありのままに受け入れる事を意識的に覚えたわけです。
というか、「そのもの」に迫る為には、「なぜ」という論理的な世界観では到達できないという結論に至ったという感じなんです。
全力で愛するってのは、人に対してだけではなくて、
言葉に対してもそうだし、何に対しても当てはまる事なんですが、
例えば、理由付けして構成した作品では到達できない世界があって、
私が書いた意味不明または論理を超えた言葉と真剣に向き合った時に、
それは、恋愛感などとも重なっていったんですね。
そして現段階の結論として、
実感というものが、「なぜ」では証明できないと思うようになったんですよ。

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