溺れていく夏の/いとう
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 捨て彦 
- 望月 ゆき 
- 岡部淳太郎 
- かおる 
- こしごえ 
- iloha 
- 降旗 りの 
- 木葉 揺 
- 千波 一也 
- 猫のひたい撫でるたま子 
 
作者より:
>buona notteさん

書いた本人もそう思っています。
「かんしんしません」という言葉が作品にかかるのか、この作品を書いたことあるいは書いて発表したことにかかるのかはよくわかりませんが、
後者であるのなら作品評としてではなく作者評として「かんしんしない」ということですね?
でもまぁ読者がかんしんするかしないかは感知するところではありませんので、
「かんしんしません」と言われても「あ、そうですか」と答える以外にないのですが。
(それは同様に「かんしんしました」と言われても「あ、そうですか」と答える以外にないということですが)

ちなみに「かんしんしません」なんて上から見下ろして物を言っているようなずいぶん尊大な言い方だたなぁとも思いますが、
そういう見地から物を言う人はあまりいませんのでたぶん私の思い違いでしょう。



追記への返信

どもです。なんかこちらがいろいろ考え過ぎてたようです。
「かんしんしない」については了解しました。

「書いた本人もそう思っています」と書いたのは、
「現代詩人が生み出した手法を利用して安い叙情を詠っただけにみえます。(だからこんなつまんないの書いて悦に入ってんじゃねーよ)」
に対して「書いた本人もそう思っています(から、別に悦に入っているわけではありません)」
というニュアンスに近いです。
もちろん(だからこんなつまんないの書いて悦に入ってんじゃねーよ)の部分はこちらの勝手な思い込みですので、
そのように意図していない文章でしたらこちらの曲解ですので申し訳ありません。

ちなみに作品に対しては“そう思っています”であって、“そのつもりで書いた”わけではありません。


追記2への返信

いやいやそこまで考えて読んでもらえればとてもありがたいです。
こういうやりとりができてうれしい。

作者の意識を晒すのも、ある意味、恥なのですが、
手に入れたオモチャで遊んでるような感覚に近いです。
あんまりだいそれたことは意識していません。
あとはまー、結局のところ、結果にしか過ぎないので。

あんまり関係ないけど、確かに一時期、谷川俊太郎の作風で“遊んでた”時期はありました。

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