アフロ者に告ぐ/ダーザイン
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- モリマサ公 
- 久米一晃 
私は詩や小説さえもあまり読んでいませんが。

ああ、私は読んでいないので糞、と断定することはできせんが、
この文章の主旨とそれを声高に主張するという行為にポイントを。
ダーザインさんは読んだ上で、糞な作品だと判断し、詩をしか読ま
ずに書いている詩人を糞と言っているので。その主張の妥当性も、
読んでいない私には本当は判断できないのだとは思いますが。
- いとう 
つか、「気風の良い罵倒の文体を楽しんでください」っていう文章でしょ?これ。読めばそのくらいわかるじゃん。
文体を楽しんでくださいって主旨のものの内容に噛み付いたってしょうがないと思うよ。
- 大覚アキラ 
コレは観たのか?
アレは知ってんのか?
ソレは読んだのか?
こういう切り口での議論は、
結局どこまで行ってもキリがないっつーか、
昇華されようもないと思うんだけど、
でも、この文章は面白いので◎
「BLAME!」は確かに衝撃的だったですよ。
- 窪ワタル 
大真面目に罵倒して下さってありがとうございます。
皮肉ではなく、面白く拝見しました。

この文章は、その実、罵倒ではないなどと云えば、失礼でしょうな(笑

ただ一点だけ、俺の文章に副って俺の事を評されるのは一向に構いませんが、俺以外の詩人をこき下ろすのは避けていただきたかったです。

追記:詩人は、詩に緘する限りにおいては、誰に媚びる事も、御世辞を云うこともいらないと俺もおもいます。
暴論に対して罵倒で応えようとして下さったこと、それ自体嬉しいです。

それから、今更だし、何だか馴れ合っているみたいに見る方があるかもしれないけれないのですが、敢えて云っておきます。
ダーザインさんは詩人です。天才かどうかはわかりませんが、ダーザインさんの詩を読みたいです。小説やら、文学極道の運営やら、禁酒やらお忙しいとはおもいますが、詩も書いて下さい。
- チアーヌ 
-  
- 英水 
はっきりいって、ダーザインさんの語り口調とか結構嫌いなんですが、この文書はありがたく頂戴することにします。

(追記)
忙しいわりには、律儀にコメントつけてくれますね。そんなダーザインさんに好感を覚えます(笑
ところで、河合でなくて川合ですよ、良く間違われますがね。
- 降旗 りの 
心ある行動に敬意をこめて

(でも!先人の詩人の方たちについての考えは下記の通りのままです)
- 虹村 凌 
BLAME!の衝撃は凄かった。
ひたすら頷きながら読んでました。
- 加藤泰清 
カラスと少女とヤクザ・・・BLAME!・・・

(・∀・)ニヤニヤ
- 千波 一也 
爽快な文面でしたので。
- 結城 森士 
- かおる 
- tomoaki.t 
- さき 
- 士狼(銀) 
- ヌヌヌ 
- 北大路京介 
- 今田コボ 
- 楢山孝介 
- m.qyi 
- もも うさぎ 
- ガマパックン 
- 天才詩人 
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- たもつ
読まなければ「糞」という断定もできないし、animicaさんにもたどりつけないですよ。と真面目に。
「糞」だから読んでみろ、くらいのことは言ってほしかった。

「ただ最初に一言言っておきますが、たくさんの優れた小説や詩を読むのは、天才の事情は知らんが俺のような凡人には効果があったと思うよ。」
と言ってましたね、失敬。
- 佐々宝砂
人によって「何が基礎教養か」は激しく異なる。
まあ当たり前だ。
私にとって何が基礎教養なのかここで書いてもほとんど無意味だと思う。
だから書かないんだけど。
やれやれほれやれどんどこどん。ニヤニヤ
- きりえしふみ
う〜む。
「詩を読んでいれば詩を書ける」なんて、短絡的な事を仰る方がいらっしゃるのですか? それは、単なる読書家だと思いますが。汗
 私は詩は読みます。しかし、歌手だって歌を聴く。あれと一緒です。別に毎日詩を読んでいる訳ではないし、たまたま詩集を読んだ時も、本であればエッセイも読む、小説も読む、少年漫画も読む、旅行もする、おしゃれもする、音楽も聴く、映画や舞台も観る、料理等の家事もする。その中に当たり前に時々詩集を読む事があるだけです。
 web上の人にもいい詩を書く人はいらっしゃるし、先人にだって沢山いい詩を書かれた方がいらっしゃると思います。それが、最近書かれたものだって、過去に書かれたものであっても、私は泣けました。心動かされたことを、書かれたのが現代か過去かによって、本当か嘘か振り分ける事は出来ません。
 ただ過去生きていた多くの詩人を否定されたいのであれば、彼らより多く本を売り上げるなりして、自分の作品の方が素晴らしいと証明なされてからが、先のように思います。
 また、何処にでも本物と偽者は入り混じっているものなので、ある範囲の枠組みの中の全てが間違っているという極端な否定は、如何なものでしょう?

 コメント読みましたvv アフロ、貴方に限っては言われて嬉しいです! 私は数年前別の名前でメルヘン詩を出して頂いております。ですから、流通事情等はしっかり認識しておりますよ。テレビで取り上げられたものが売れ易いということも、いいものが売れるとは限らないということも、文化の為になる仕事に携わっている方程生活を自力でするのが難しいということも存じ上げております。しかし、このような内容の事をお書きのあなたが、詩集が書店に置かれない現代の諸事情等はご自分が認められない事の言い訳や武器にするのは如何なものかと思います(「現代は〜であるから」って、単なる逃げ口上ですから)。此処までの事を書いてらっしゃるのですもの。否定するなら、その人たちのフィールド(この場合は先人たちなので、本しかありません)で、そのフィールドの価値観によって取り決められた勝負に勝ってからなさられた方が宜しいですよと申し上げただけなのですよ。それが否定する側の責任ですから(これ以上言っても切がないので、やめにします♪)
- 恋月 ぴの
確かに「書くためにだけ(著名詩人の)詩を読む」行為は動機が不純で怪しからん話だと思いますが、純粋に(著名詩人の)詩が好きで読む行為まではとやかく言えないと思います。
それから、ロイ・リキテンシュタインやアンディ・ウォーホルらポップアート、デ・クーニング、ポロックらに代表される抽象表現主義に受ける衝撃、アートに関する基礎知識を養っているからこその衝撃でアートに全く興味が無い人にとってはただの落書き程度にしか見えないでしょう。そう考えれば、ご推奨されている方の詩作品も詩に関する基礎知識が無い者には何処が良いのかさっぱり判らないと思います。また、絵でも映画でも本物を数多く見ろと言うように、詩もまた然りだと思います。(本物かどうかを見分けるためにも著名詩人の作品も含め数多くの詩に触れたほうが良いのかも知れません。)

アスキー云々には、頷けました。
- キメラ
オレはショパンをきくたび敗北感に苛まれたものだ。
きょう田舎山道の田園風景をみたとき、熱いものがこみあげて泣いたよ。ダーザインの光の王、あの作品はね、オレのなかでは既に大変に孤独な午後の超個的な心象モニュメントとなっている。つまり、リルケ、ゲーテ、賢治等と同等に刻まれ得た本物の芸術だ。映画監督であった祖父がよく庭園の蜘蛛の巣を全裸でとって回っていた。追憶を記憶の端でなぞるなら、いつでも喪失より深い滾りが止められず、現在を生きること、それだけが芸術である、となんとなくまどろんだりもするんだ。

300円かしてくれ。
- 降旗 りの
私はアフロでいいです。
本当に詩人と私が思う方々はそのくらいのもの知っています。
詩ばっかり読んでるなんて思う方がどうかしてる。
ダーザインさんにとって、詩とは何でしょう?
詩人とは何でしょう?
私はいいものはどこにだってあると思います。
過去のものにも今現在のネットの中にも。
ごめんなさい。
けれど私はこの文章を読んでとても悲しくなりました。
いい詩、って何でしょうね?
確かに時代とともにあるものは時代とともに古くなってゆきます。
そして私たちは新しいものを求め続ける。
詩も世界も未来は今の私たちの先にかかってる。
私は、詩を読むことが直接詩を書くことに繋がるとは思っていませんが(そうであったらどんなにいいか)、「詩を読むこと」の大切さは「詩を読めること」の大切さに繋がると思っています。ただ言葉として読むのではなくて、そのもっと奥を感じること。知ること。考えること。私は、詩を読まないことよりももっと残念なのは読んでも読めないことではないかと思うんです。
詩だっていろいろな詩があります。それは否定することじゃない。
現代って何だ。現代に生きるなら、もう私たちは生まれた時点で過去のものになる運命を持っているんです。
私はタルコフスキーの映画が好きです。でも、フェリーニのその時代の世界を映し出して人間の感情を伝えさせてくれるものも好きです。

私は、ダーザインさんが思うよりもきっともっと詩は大きいと思います。詩は世界をも背負える。詩は人間の痛みも背負うことができる。

むやみに刃のような言葉を発しないでください。
ダーザインさんは、他の現代の作品を例に挙げられたけれど
それは、窪さんが「詩を読もう」と仰られたことと同じことです。
私たちが知らなければいけないのは、誰かの作った作品だけじゃなくて、過去からそして今ある世界そのものなんだと思います。

という文章を一気に書いた後、もう一度冷静になりながら
読み直して考えてました。
結局は私が最後に書いたことと同じことをダーザインさんもメディアの部分を通して考えていられるのだろうな、って。
だとしたら、ダーザインさん、この文章は誇張しすぎです。
というか、間違えています。
知らずに決め付けて否定するような言葉は控えてくださいね。
(再び追記)
ダーザインさんの求められる詩人の姿が、おそらく時代こそはそれぞれにしろ、もうずっと前から詩人たちがそれぞれのかたちで体現してきたことと同じだったことは嬉しかったのですが、それでも、間違いはともかくとして、私はやはりダーザインさんの言葉の使われ方がとても気になります。
どうか、喩えであっても、人の生死に関わるような表現は書き換えていただけないでしょうか。
よろしくお願いいたします。
(再々記)
もう一度だけお願いします。「死ね」という言葉だけは書き換えてください。(「死んじまわずに生き残っている」という場所も)
人は本当に死んでしまうものなんですよ。
もしも作品として罵倒するものを書かれたかったのなら
そんな言葉は使わずにきちんと作品として書かれてください。
ダーザインさんの文学極道に対するお気持ち、とてもわかりました。だから、なおさらお願いしています。そうでないと文学極道もかわいそうです。そのテーゼと全く矛盾しています。
私は(今ほど残念と思ったことはありませんが)残念ながらまだ詩集を出していないので肩書きにも詩人とは言えません。
ただ知っていること。
詩人というのは言葉のプロです。
言葉の尊さ、愛しさ、持つ力の強さ、弱さ、どれだけ人を救えるか、反対に傷つけることができるのか、皆知っているひとのことです。
ダーザインさんが思われている以上に過去の詩人たちはたくさんの困難を知っています。時代的なものもあるし、個人的なものもある。私は詩人にネットも活字も関係ないと思っています。誰だって最初は知らない人です。知らなかったら知ってもらえばいいだけのことです。これからは、もっと開かれてゆくと思います。私は、私だってネットでの詩の可能性は信じています。
でもネットには弱点がいくつかある。そのひとつは、こうして自由に簡単に書き込みができたり、修正、削除もできることです。名前を変えれば別人にだってなれてしまうことです。これは本当は利点でもあります。けれど、言葉に責任を持たなければいけない者たちに取っては、信用性という意味で、これが弱点になります。
だからダーザインさんも書き換えはできないと仰ったのでしょう?
ダーザインさんは詩人だもの。
でも、私は、今は書き換えてほしいと思っています。ダーザインさんのためにも。文学極道のためにも。
削除して欲しいとはいいません。
ダーザインさん、お願いします。
信じさせてください。ダーザインさんのお名前はフォーラムに来る前から存じています。
ダーザインさん
詩人としてのプライドをとられますか?
それとも詩人としての魂をとられますか?
- 山内緋呂子
>画像として視界に入ったとたんにその詩の良し悪しを判断できる。無論その後一字一句ちゃんと読むのだがね、最初のアスキーが視界に入った瞬間の印象に間違いがあったことはめったにない。

この部分にとても共感しました。私もネットから詩を書き始めたので、視覚から何かを感じ取る力がついてしまったように思います。同様に、書くときも、視覚から脳みそを辿って書いてるようにもなってしまいましたが。
- れつら
アフロ者っていいなあ、かっこよさげな響きだ。笑。

所詮この世は弱肉強食。
dさんはご不満かもしらんが、俺はどうやら認められたいようです。
俺は別に文人になんぞなりたいと思ったことはないし、かといってアフロ者にもなりたくはない。どっちも言葉面はかっこいいんですが。笑。
ただ俺の定義と信条とによって詩人ですので、
あとはそれが世の理念として認知されるよう活動するのみです。
どうせ死ぬまで書くんだ。誰にも分からなくても俺にはこれが最高峰なんだよ、と思い続け得るものを書いてゆくのみです。

それとは別の位相で、好きなものは読むし観るし聴きますがね。

というかんじで。
まあ、お互い生き延びましょう。
革命を願って革命を見ずに死ぬのは御免でしょう、貴方も。
 
作者より:
>たもつさん


ああ、どんなに酷いか、現代詩手帳とかのプロ扱いの詩人の有様はネット詩人にも是非とも見てもらいたいです。素人扱いの一般投稿者の方が遥かにレベルが高い。活字詩誌がジリ貧の同人誌状態から脱して生き残りたかったら、プロとアマの垣根をなくして、名前が有名だとか言うことは一切無視して、優れた詩だけを皆プロ扱いで載せればいい。こんなわかりきったことをやらないのは、既に脳梗塞気味のハゲだからでしょう。

>佐々宝砂さん


SF・ファンタジーという無数の傑作を生み出してきたジャンルが、ライトノベルに飲み込まれて消滅寸前ですね、日本だけの特殊事情だろうが。バラードやディックのような鬼才現れても日本には作品を発表する媒体がない。
とにかく、純文学や現代詩は基礎教養にならない代物が多いと言っておく。詩誌だけじゃなくて、毎月の純文学雑誌もチョコチョコ読んでいるが、詩どころではない酷さだ。

>桐惠詩攵さん


桐惠さん、アフロ認定1号おめでとう。(´ー`)y-~~ニヤニヤ
売れれば偉いというのであれば、「トゥルーラブ」とか言うゴミが日本一になっちまうし、あなたは詩集の流通事情が今どうなっているのか何も知らないのだろう。桐恵さんの詩集は、残念ながらほとんどどこの本屋の店頭にも並ばないよ。谷川さんのようなビックネームの詩集ですらほとんどの本屋は置かないんだ。何故置かないかといったら勿論市場原理だ。売れないものを置く無駄なスペースは無いんだ。

活字詩人にも、ネットで活動している詩人にも、優れた人は無数にいる。詩というジャンルはなにもかもダメだなどと思っているわけじゃない。文学極道でも毎月優れた詩が発表されている。現代詩フォーラムは盛況だしな。

俺は、活字という権力、その権威を疑わない知能程度の低い奴と戦っているの。
ネットで芸術創造をする者として。

>緑川 ぴのさん


同じことを何度も言わせないように。俺は糞詩人と、活字という権力がダメだと言っているの。良い詩人が好んで読まれるのはあたりまえだろう。俺だって賢治は皆に読んでもらいたい。

俺も美術は好きですよ。ドイツロマン派とかシュルレアリストとか、ベルギー象徴派とかに好きな画家がたくさんいます。レンブラントとか、昔の画家にも大好きな人はたくさんいます。
で、アンディー・オゥーホールらのアメリカンポップはゴミだと確信しています。

>キメラさん


現在を生きること、、重たい言葉ですね。
生きていくのは大変なことだ。
光の王完成版はあまり多くの人の手には渡っていないが、
貴殿のように手放しで褒めてくれる人はあまりいないな。
どういう方向で手直しすれば良いのか、人によって言うことがてんでんばらばらだ。
敗北感を味わうことは幾らでもあるが、
しかし、光の王に於いてだけは、絶対に敗北するつもりはないよ。

>窪ワタルさん


貴殿を罵ろうにも、貴殿の詩作品は尊敬しているから罵れない。
それから、俺は誰にも媚びない退かないへつらわない。
ダメだと思う奴を公開の場で罵倒するのはやめない。
そいつに発言力があるのなら尚更だ。
ダメな媒体は媒体もろとも滅びてもかまわないと思っているくらいだ。
いまさらだが、俺はワイヤード原理主義者だ。

>比呂さん

なるほど、映像のプロの方ですね。
ベルリンの壁が消えた後の二〇世紀はまだ終わっていないと思うんです。
ワイヤードの出現で、時代を隔することは出来ると思うけれども、
アメリカとか、資本主義とか、暴力と搾取の問題は何も変わっていない。
相変わらずの映像の世紀の中でね。
ありがとう。

>大覚アキラさん


ブラム好きな人には「テクノライズ」お勧めですよ。
今wowowでやっている「エルゴプラクシ」も、もしかしたら傑作になるかもしれないです。

>桐惠詩攵さん(アフロ)


なんで俺ほどの者が、いまさら素人扱いで活字雑誌に投稿しなければならないのか?
今は小説に専念しており、詩は書いていないのだが、
俺のかつての詩作品に、あたりまえの敬意を持って投稿依頼が来たら
考えてやってもいいよ(´ー`)y-~~ニヤニヤ
ワタル君にも言ったが俺はネット原理主義者だ。
同人誌同然になって消滅していく媒体から、
勇気を持って罵倒・批評に晒される双方向の場、
文学極道に出てきている活字詩人は高く評価しているよ。

アフロの詩を今ちょっと見て来たが、なかなか良い詩を書くね。

>来理さん


忠告ありがとう。
でも俺は時々本音を叫ばないと我慢できない性質なんだ。
損をするよ、とはいろんな人に言われるのだが。
性分だ(;´Д`)

>choriさん


論理の根底が可愛いとか言われてしまったが、俺にとっては激怒をもよおすことなんだ。
思潮社って言う権力があるよな、あそこも毎年全国詩人名簿みたいのを載せるだろう。俺は勿論、天才animecaさんや木立も載っていない。思潮社が認める人、思潮社で活動する人間以外は詩人ではないみたいじゃないか。
 またこんな話もある。俺は北海道詩人協会に入っていて、43歳の俺が若く見えて浮くほど高齢化は著しいが明るく快活で良い雰囲気の場所だ(何せお年寄りがほとんどなので、インターネットに接続できる人は数人しかいない)。それは良いとして、活字にもなっているが主にネットで活動してきた某女子が出入りしている詩と思想系のサイトの管理人に、「貴女もそろそろ北海道詩人協会に入りませんか、推薦しますよ。」と言われたのだが、これだけなら何も問題はない。ただ彼は一言多かった。「詩人協会に入れば詩人と名乗ることが出来ます」と言ったそうだ。その言葉を聞いた彼女は嫌な気分になって丁重にお断りした。ネットで活動している者は詩人ではないと言われているようなものだからね。多分彼にはそういうことに悪意などなくて、善意と因習から出た言葉なのだろうが、ネットでずっと活動してきた者としては嫌な気分になるさ。

だがこんなことはいつまでも続かないよ。
俺はネットと言うメディアの将来を楽観的に信じている。
陣取り競争の相手じゃなくて、協同する相手にしたいのなら、
現代詩フォーラムで活躍する人や、文学極道受賞者に向こうから執筆依頼が来るくらいのことがあたりまえになるべきだ。極道は選別の手間を省いてやっているんだぜ。利用してくれれば良いのに。まあ基本的に、どこに出て行くかは、詩人一人一人が個人で決めて行動するべきことなので、俺が何か言うことじゃないが、これだけネットの詩メディアが発達しているのに、引き抜きも何もせずに、いつまでも投稿を待っているという姿勢が実に怠惰で権力的なのだよ。

吐き気がするような嫌悪感を覚える「演歌」というジャンルが絶滅するのにまだ20〜30年くらい掛かるかな。俺の世代、40代前半でも、もう演歌のCDを買う奴というのは特殊なキモイ奴だけだ。はばかられるのでこの後に書き続けるつもりだったことは自己規制するが、そう遠くない将来、ネットで活躍して名が知れていない者が詩人と名乗っても旧世界の阿呆だと失笑を買う時代が来ると楽観的に予言しておくよ。
つーか、俺の中ではとっくにそうなっているのだが。

>河合英水さん


挑発檄文のプロになる為には、巨大な偏見と自負を持って、ひたすら威力重視で徹底的に自分の土俵で屁理屈をこね続ける。これだ。(´ー`)y-~~ニヤニヤ

>降旗 りのさん


無邪気に活字になれば偉いとか、本が売れれば偉いとか思っている人ではないし、
りのさんの仰っていることには正直100%共感しているので、貴女にはアフロの称号は与えられません。
ケチらないで貴女の詩をネットに貼って下さい。
>詩は世界をも背負える。詩は人間の痛みも背負うことができる。

「世界性を獲得すること、生の強度を描き現すこと、」
これは文学極道のテーゼです。
だが、書き換え削除には応じられません。
誰も何も言わない、なにもしない、既成の権威に従い、唯々諾々と内部に入っていく。
俺には俺の立場があり、役回りがある。
異議申し立て、反論、反乱の余地がなければならない。
代わりに、昨日mixiで書いた文章を貼っておきます。

北海道にも春が来ました。
可愛い野花が咲き乱れています。

俺はひとりで書いてきました。
学生時代に初期衝動で書いたものは全部焼き捨て、
27歳でまた書き始めて、
36であやしいわーるどに詩板を持つまで、
ほとんど誰に見せることもありませんでした。

レールに乗ったことはいちどもない。
乗ることが不快なレールだったから。

でもワイヤードの出現によって、
既存のレールがダメなら、
良いレールを自分たちで作る可能性が出来た。
ならば俺たちで作ろう、俺たちがやらなければならない、
そう思ったのが初期メンバーだ。
そして次々と素晴らしい理解者、協力者を得た。
ものすごくエネルギーを消耗する仕事だった。
いつまでやれるのかわからない。
俺たちがダウンしたら、
若い人たちが、後を継いで行けばいい。

文学極道と言う場所が一定の安定した場になれたら、
もうカリスマ罵倒士とかも必要ないだろう。
俺は神様になるつもりはないよ。
礎石のひとつでいいと言うのも大げさだ。

物量に対応できず投稿規程が変わり、
月2編の制限が設けられましたが、
それでやっていけるかどうかは、
様子を見ないとわからないです。
力量のある新人さんがどしどし来てくれるのなら、
大変でも喜ばしいことなのだろうが。
しかし、皆疲れただろう(;´Д`)
でも、
文学極道は参加している人たちのエネルギーそのものです。
俺が文学極道の顔だぜと言いたい奴らが激しくしのぎを削る
相撲部屋のように暑苦しいエネルギー(;´Д`)うっ
なかなかスマートには行かないよな、こういうのは。
ビートニク時代の芸術家たちを描いたアメリカ映画で、
なんとかビレッジの青春とかいうのがあったね。
あの映画みたいに、参加した皆が、
青春の記憶に残るような場所になれたら良いなあ。

>降旗 りのさん


挑発檄文は、泣きべそかきながら執拗に訂正を求められたので
貴女の気持ちもわからんではないので、
「死ね」を「アフロ」に書き換えました。
アフロ者として生きるというのは、
なんかかっこいいような錯覚を与えるような気がして嫌なのだが(^^;

こちらが譲ったのだから、極道に出てこいとまでは強制しないが、
貴女は現代詩フォーラムに詩を貼りなさい。

訂正履歴:
中身の変更に伴い、タイトルを修正06-5-12 22:51
「死ね」を「アフロ」に変更。誤字脱字訂正。06-5-12 20:28

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