BANZAI UZAI/恋月 ぴの
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- こめ 
- かおる 
- 阿麻 
- たりぽん(大理 奔) 
ぴのさんらしく尖っていて、いいと思います。誰もが心地よい言葉なんて、誰にとっても「どうでもいい」ことばでしょう。意志を持って使った言葉であれば、その意志の是非こそが問われるべきですしょうから。あえて、その言葉に挑んだぴのさんの意志に僕は興味を持ちました。
- まほし 
現代人って、虚飾の中で己を更に飾りながらも、
本物の輝きを求めているのではないかな?と思います。
真夜中にきらびやかな東京をドライブして、夜明けを待ち望んでいるような、
そんな印象をうけました。
サンクス(^−^)v
- tonpekep 
まじイイ。新感。
- The Boys On The Rock 
ラップ?といった趣ですが、僕には白秋の"あめんぼ赤い赤いな"がオーバラップしています。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- きりえしふみ
「ウザイ」という表現以外に、その気持ちを表す言葉はなかったのでしょうか。リズムという点だけを見ればとても良いと思えますが、「ウザイ」という意味は曖昧ながらに、「ムカつく」同様「重く受け止めている人」にとっては、自分を切りつけて来る酷い暴言です。暴言は発した人、「ウザイ」を気軽に発するのが癖になっている人は何とも思わないかも知れませんが、日本語は多種多様の言葉で成り立っています。もっと適切な言葉を見つけられても良い気がします。 気楽に、「万歳」に「ウザイ」がセットされて、気軽に用いられていた事が、残念でなりません。
 
作者より:
こめさん
 :ありがとうございます★
かおるさん
 :ありがとうございます☆
ライラさん
 :ありがとうございます★
阿麻さん
 :ありがとうございます☆
たこ(たこ)さん
 :ありがとうございます★
比呂さん
 :えっとたぶんそれは、「試み」だからだと思います。普段から、こんな感じのことばを
  普段も使っていたら  もっとうまく歌えたような気がします。
  てか、こんなうたも書いて楽しみたかったのです^^
  ありがとうございます★
真山さん
 :ありがとうございます★
たりぽんさん
 :友情に感謝いたします。でも、ご好意に寄りかからないよう精進しますね^^
  比呂さんへのコメントへレスさせていただいたように、やっぱし、ことばが身について
  いないのかな?(残念)ありがとうございます★
桐恵さん
 :コメントありがとうございます
  おっしゃられているような印象を受けるのではないかと、この作品を
  投稿しようか迷いましたが、後半部に真意を込めたつもりです。
  いい放しの暴言ではないことをご理解いただけるとありがたいです。
縫 美千代さん
 :うむ残念です。精進したいです。ありがとうございます♪
翔太郎さん
 :この詩の核となる部分は「それでも地球…と、マゴコロ…」です。
  出だしから「それでも」までは、インプロビゼーションてか、言葉遊びと思っていただけると
  うれしいです。
hyroさん
 :そう言っていただけると嬉しいです。ウザイ、友達関係だからこそ言えたりしそうです^^
ありがとうございます★
ヲトヤさん
 :関東南部の方言、ぴ@は川崎育ちなのですが水が体にかかると「しゃっけーなあ」とか
  言っていたのを思い出しました。ウザイ、うんメンドクサイ、メンドイくらいの意味、
  ぼやきってニュアンスもありですよね。
  「それはそれで…」嬉しいです♪
  ありがとうございます♪
まほしさん
 :コメントありがとうございます☆
  うん、判っていただけて感謝感激です(嬉しい!)
tonpekepさん
 :新感、う〜ん、励まされるかも(にゃは
  また書いてみようかな♪
  ありがとうございます★
ロックさん
 :うん、白秋…ぴ@も好きだったりします(^^
  かなり影響されていたりして
  ありがとうございます★
名ナ。さん
 :そんなコメント嬉しいです
  ありがとうございます☆
sadameさん
 :こんな作品まで読んでくださり、とてもうれしいです♪
  なんとかリズム、とれたような(^^;;滅多にかけません
  ありがとうございます☆


  


■■■ 読んで頂きまして誠にありがとうございます ■■■

「掃き溜めに鶴」ということばがありますが、「掃き溜め」と言うわれてピンとくる方は何人いらっしゃいますでしょうか?ましてや「肥溜め」「肥担ぎ」となれば実際にご覧になられた方(特にこのフォーラムに集われている若い方)はどれだけいらっしゃることでしょうか?
そう考えてみるとことばとは時代に生きるものとも言え、その時代ごとに移り変わるものだと考えています。

今、自分の手元に1955年11月荒地出版社より刊行された「鮎川信夫詩集」があります。高田馬場駅前にて開催されていた古書フェアで偶然見つけた、半世紀前に発行された詩集、そこに綴られた詩人鮎川信夫の思いが、かび臭いページをめくる毎鮮やかに甦ってきます。しかしながら旧字体、旧仮名遣いも多く用いられており、新字体、新仮名遣いへの翻訳作業を読むたびに強いられ、ダイレクトにこころに響くと言うわけではありません。何と言うか古典に親しむ…まさにそんな趣がそこにはあります。(もちろん、こんな手間をかけることも古書に触れる楽しみのひとつであり、古書店めぐりに勤しむ訳ですが)

そう考えてみると、今使われていることばを詩のことばとして用いてみる。それは「リアル」に時代を共有できる共通言語として今の読み手に提示できるのではないかと考えています。桐恵さんがおっしゃれているように適切なことばで語ることも可能だと思いますが、ダイレクト感を求めるのであれば醜さを伴なった汚いことばでもあえて用いてみる。そのことばの可能性を探ってみることもことばに関わる者にとって必要な作業ではないでしょうか。

もちろん、そのような詩的実験(ちょっと大げさな表現かも知れません)を行う場合においても規範となるものが必要だと思っています。自分の場合は「極力、フォーレターワードを用いない」がそれにあたります。詩に用いることば、何でもありだと思いますが、あえて自らに枷を嵌めることによって、用いることばの自立性を際立たせてみる、そんな考え方も一興かなと考えています。

それから「掃き溜めに鶴」のように、美辞麗句よりも汚いといえることばのなかでこそ美しさが際立って見えてくる。そんな思いもあります。この詩で用いた「ウザイ」、バンザイ ウザイ と繰返すことによりことば遊び、リズムを作り出しながら、最終行でマゴコロを歌ってみました。バンザイもウザイもひとつの記号であるとの考え方も出来ますが、あえてそのような言い訳はしないつもりです。

詩は恋愛詩にはじまり恋愛詩に終わるようです。しかし、はじまりから紆余曲折があって終わりに辿り着くのかなとも思っています。たった数メートルでも困難を伴なう、それがことばとの関わり方のようです。







---2007/10/09 21:19追記---

---2007/11/29 20:00追記---

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