パースペクティブ/ふるる
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 李恵 
- 銀猫 
- 嘉野千尋 
>「そういうふうに解釈したのか。」
という台詞が印象的です。

↓ふむふむです。ジョニーとエイミーが、互いの存在を確かなものにしている…納得です。他者との比較によって、自己を確かなものにしたり、自分が位置するところを認識しているんだなぁ、とふるるさんの下のコメントを拝見して改めて思いました。
- たりぽん(大理 奔) 
- 合耕 
ジョニーが切ない
- PULL. 
 
作者より:
KEI18さま、ありがとうございました。
坂田犬一さま、ああ、とってもうれしいです(^^)
あをの過程さま、ありがとうございました。
浅野多雨さま、ありがとうございました。
銀猫さん、ありがとうございました。
嘉野さん、ありがとうです(^^)いちおテーマが自己と他者なので。自己の認識によって存在する他者、他者によって存在することを感じられる自己、という・・・。
パースペクティブ(遠近)もそうです。遠近というのは、それを見ている人がいて初めて存在できます。小さく描かれたものを遠くにあると感じる人がいて、初めて遠近は成立するわけです。逆に、そう感じる自分が、今ここにいる、ということを「遠近がある」と感じる自分によって感じることもできて、自己と遠近(や他者)は存在の確認ということにおいては切っても切れない縁があるですね。
ジョニーとエイミーはまた別の意味で自分たちの存在を確かなものにし合っているわけでして、この詩では遠近の近の部分でもあります。ゆるぎない日常(近)があってこその、
自己と他者なんたらという哲学みたいな考え(遠)なわけで、この両者も切っても切れないご縁ですね。その両方あってこその、日常という風景の奥行き。
日常という風景、日常の人との関係、のパースペクティブから、それを見つめる自分は、自分の存在や、様々な疑問や想いを確かにしていく・・・。
珍しくテーマがあるのは・・・題名のための詩を書こうと思って・・・。
私は自分の存在というものにいつも疑問を抱いていて・・・。
でも私にしか意味わからないんじゃあだめっすよね。
適当に哲学っぽい言葉を入れただけじゃんと言われてもしかたがないものです。これは。
誰も読んでないと思って長々書いちゃったーーー。エヘ
(長いのに、読んでくださってありがとうございます)
岡崎 恵さま、ありがとうございました。
たりぽん様、ありがとうございました。
合耕さま、ありがとうございました。切ないですか。なるほど。
PULL.さま、ありがとうございました。いつもありがとうございます^^

戻る Home
コメント更新ログ