異常な時代に対する最終弁明 —または、直観の疾走者/岡部淳太郎
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- かおる 
- 葉leaf 
このコメントにいちいち応答しなくてよいですよ。はじめに言っときますが。

僕は論理志向型の人間なので、岡部さんの前の文章を読んだ時には、「ずいぶん文学的だなあ」と感じました。多分岡部さんは異常さというものを頭で感じるというよりはむしろ肌で感じているのではないか、異常さを鋭敏に感じ取ってはいるのだけれどもそれを明晰詳細には理解していないのではないか、と思いました。
「異常さ」とは問題となっている種類の対象について、ある量的属性の程度がその対象の一般平均的な値から大きく離れていることを言います。どの線を越えたら異常になるかは、問題となっている対象によって異なってきますよね。たとえば人間が時速100Kmで走ったら異常ですが、自動車が同じ時速で走っても異常ではないといった具合です。また、どんな属性について異常さを語れるかもそれぞれの対象によって異なってきます。石にはIQが観念できませんから、「この石はIQが異常だ」とは言えません。
だから、「時代が異常だ」といった場合、時代のどんな属性について異常さを観念しているのか、また異常かどうかを判断する基準はどこにあるかを明らかにしなければなりません。論理志向型の僕としては前の文章でその辺をもっと明確にして欲しかった。

この文章では異常さを感じる根拠が示されていて少し安心しました。岡部さんの不遇な(?)体験に基づいているのですね。
僕もアウトサイダーですが、特に時代が異常だとは思っていません。自己と社会が不一致をきたした場合、どちらかを異常と決め付ければ納得できるわけですが、むしろ僕は自分が異常だと思っています。もちろんこれはどちらでもいいわけで岡部さんを批判しているわけではありません。

文学をやる人にとっては直感はとても大事なものだと思います。詩を書く場合、適切な表現を思いつくのは直感ですし、表現の美しさを感じ取るのも直感です。詩を書いたり小説を書いたりするだけなら直感主導で十分やっていけると思います。
- ふるる 
私も直観思考型です。私が肌で感じるのは、「これまでのルールは通用しない時代に突入したな。怖い。」です。前回と同じような事を言ってすみません。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- 窪ワタル
ケムリ氏が若者であることを強調されているのは、そも、そも、お若いのです。若いときなのです。否定されたような気分から発して、反論の体裁を整える為に、統計を用いているように感じます。
俺は、岡部さんよりは少し若いのですが、気分的に言えば、岡部さんの感覚に近いのではないか?とおもいます。
 
作者より:
1 文中でも明言したように、反論は受けつけません。
2 副題は昔書いた詩のタイトルから来ています。
3 どんな場合でも反対意見というのは目立つものですが、逆に賛成意見はそれほど目立ちません。
僕は現代を異常な時代であると定義した自分の意見に賛成する人も、少なからずいると信じています。
4 世の中、どうしても右利き―左脳思考型―論理思考型の人たちが多いので、
僕のような左利き―右脳思考型―直観思考型の人間は分が悪いなと思います。
5 僕は平和主義者的なところがあるので、本当は論争なんてしたくありませんでした。
人と意見を戦わすなど、今後も出来れば避けたいです。

6 追記。僕にとって、「俺達の時代」なんてものはなかった。僕はいつでも時代や社会に反旗を翻して生きてきたから。
「俺達の時代」というものがあると感じられるのは、幸せなことだろう。
しかし、僕にはそんなものはなかった。ただ、「俺の人生」があっただけだ。

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