吉三郎申す/佐々宝砂
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- りつ 
- 瀬田行生 
 
作者より:
あるとき、島田の町を歩いていた私は「八百屋お七の恋人吉三郎の墓」と書いた小さな小さな道標を見つけました。こんなところに吉三郎の墓?と思いつつ歩いてゆくと関川庵というこぢんまりした社があり、その境内に吉三郎の墓がありました。吉三郎はお七を弔う旅に出て島田で病死したと伝わります。

東京にも比翼塚というお七と吉三郎を祀った墓があるそうですが、こういうのはどっちが本物とかじゃなくて機会があれば両方に手を合わせておくものだろうなと思います。

八百屋お七が見初めたのは浪人とも武士の子とも言われます。名前も一定せず、初期の文献では庄之介とするものがあるそうです。歌舞伎や好色五人女では姓こそ違え吉三郎で、おおむね吉三郎の名ということになっています。

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