つれづれと俳句/朧月夜
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- りゅうさん 
-  
- ヒロセマコト 
- 足立らどみ 
- 森田拓也 
過去を思われつつ、
今のご自身の境遇、心境を
巧みに詠まれてますね。
思い出の心への影響力の大きさも
感じます。
以下の方がポイントなしでコメントを寄せています。
- ひだかたけし
病みに在り若葉の想い尚鮮やかに
---2024/11/19 20:34追記---
 
作者より:
昔は夏に冬の詩とか投稿するとあいつは頭がおかしいとか言われたものですが……。今はそういうことがなくなったという一点だけでも、ネット文学にとっては良いことだと思います。が……さすがに時季外れですね。

貴重なポイントをありがとうございます。
---2024/11/19 19:44追記---

>森田拓也様

個人的には、「今はこれくらいしか書けない」というかなり緊迫した気もちで俳句をこの1年書いてきていて、ですので、過去ですとか記憶ですとか、そうしたものではなくって、「今のこの時」というのを表現したかった、というのはあるのです。だいたい俳句も短くて1時間くらい、長いと半日くらい頭のなかで推敲を繰り返して、その後に「これしかないか」と言いますか、もう少し正直に書けば「今はこれが限界かな」というところまできて初めてキーボードを叩くんですが、先日ひだかさんと室町さんから蜜豆の句にコメントとポイントをいただいたときに感じたのですが、わたしの書いている少なくとも8月に書いた句には、過去の様相が色濃く表れているんだなという。懐古趣味に走ったということは全然なくって、8月ということで必然的にもたらされる情感が出てしまったのかな、ということを思っているのですが(個人的に、盂蘭盆という時候を日本人の精神性にとって重いものと捉えています)、そうした点をお褒めにあずかると、「そうなってしまったかあ」というのは正直あります。詩をずっと書いてきた者としては、「今さら俳句」つまり「俳句に逃げた表現」というのをすべきではないと思っていて、詩書きにしか書けない俳句を書くべき、というのはやはりあるのですが。俳句について深く考察してきたわけではないので、上手く表現できませんが、既存の俳句に倣った俳句は書くまい、というのはありました。その上でいただく評価について、改めていろいろと感じるものがあります。ただ、わたしのなかでは独自性を貫こうですとか、そういった意識はほぼ皆無でして、表現をするのであれば伝統的な表現にならってすれば良い、ただし輸入はするよ、という気もちで書いています。ですので、「今までまったく俳句を書いてこなかったし、読んでこなかった」というところから拾ってきたものが、偶然俳句の世界での表現に似てしまったのだろうか、などと思ったりします……。

>ひだかたけし様

返句ありがとうございます。通常(FBなどでは)返句へのコメントは控えさせていただいておりますので、今回もそのように。
---2024/11/22 19:38追記---

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