ホロウ・シカエルボク氏「喪失というものにかたちがあるとしたら」を読む/朧月夜
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- アラガイs 

これは、ホロウシカエルボク氏への~というよりもあなたの多層な解釈の抽出表現ですかな。にしてもあなたとか足立氏とか、いつも感心するのだが、語りかけるその弾ける長さの集中力には舌を巻いている。そのパワーの源は視力と読書記憶でしょうか。天照大神青雲に書ける大谷翔平だ。


- 森田拓也 
こんばんは
喪失体験は辛いですよね。
その喪失体験という、白地図化した
自らの世界地図に、もう一度
自らの絵を描こう、自らを存在させよう、
ホロウさんの詩には、僕はそう言う印象を
持ちます。
喪失体験にも何らかの意味を持たせること、
イコール、その気持ち的反動の大きさが
あのホロウさんの爆発的文体にも感じるんですけどね。
- ホロウ・シカエルボク 
こんばんは。まずはありがとうございます。

病院…書いてるうちに勝手に出てきたんですけど、今回はなぜか、普通の病院を書きたくなかった。病院って喪失と再生の象徴みたいなところあるじゃないですか、そこをあんまり普通に書きたくなかったのかも。で、病院なんだけど…っていうものにした、それがこう、絶対的な喪失と、希望かどうかもわからないスタートが始まるっていう感じになっていいかなと思いました。

自分の書く詩は血についてうたうものでありたいし、そもそも詩人なんて喪失から生まれるものではないかな、と思います。それは僕のすべての詩の本質なんだと思います。

そしてタイトルはほぼ確実に一番最後につけます。長い詩の全体を短い別の詩で表す感じです。

「ロックアップ」に絡めて言うなら、プロレスって必ずしも強いからトップ、というわけではないんですよ。人間として生々しい選手ほど人気がある。プレイヤー、試合内容、観客すべてにドラマツルギーがある、それがプロレスの面白いところです。つまり、僕はもの凄くタフで、ものすごくナイーブな人間だということです(笑)

-  
 
作者より:
ポイントありがとうございます。

>アラガイsさん

わたしの場合、批評で「解題」はしないと決めていて、あくまでもわたし個人における読書体験の再構築から、読み手におけるワイルドカードの一つが提示できればと思っているのですよね。
うーむ。一気呵成に書いたもののように思われるかもしれませんが……(300字程度のコメントであればそういうこともあります)、それより長くなると、書いている途中で何度も最初に戻って、ということをしているので、持続は単に技術的なものです。
実際四苦八苦しながら書いていますよ(笑)。

>森田拓也さん

喪失体験は、個人を押しとどめ、また押し進める体験であるとともに、それがなければ始まらないスタート地点でもあるように思うのです。ホロウ氏にとって、この詩のなかでの「喪失」は、自嘲であるとともにプライドでもあるように思えるのですが……そこは、本人に聞いてみなければ分からないですけれどね。
もう一つ。過去には、ホロウ氏の詩は一気呵成に、熱情によって書かれたもの、とわたしも思っていたのですが、いつだったかある作品に四日間かけた、というお話をうかがったとき、この詩人における詩の持続は単なる時間の連続、すなわち情熱の発露は越えたものであるように、思っています。「爆発」──ではなく「細心」なのではないか、と。

>ホロウ・シカエルボクさん

コメントありがとうございますね──「そもそも詩人なんて喪失から生まれるものではないかな、と思います。」そう、それなんですよね。わたしも多分そういうところから入ったと言いますか、長い間そういうことを考えていたというのはあるのですが、このごろは「喪失は絶対だろうか?」ということも思うのですよね。そのことは、単にわたしが今詩を書いていない、ということを示しているのに過ぎないのかもしれませんが。
この情景のなかのこの病院は、──廃病院と思っても良いんですが……むしろ、この詩の全体を流れる「時」の監視者のような役回りもしていて、舞台装置のなかに組み込まれた曰く言い難いもの、三次元に投影された高次元の象徴、といった雰囲気も持っていて……。まあ、あまり解題などしないほうが良いのですが。
---2024/10/24 08:23追記---

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