還る言葉/ひだかたけし
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- 森田拓也 
こんばんは
私という言葉は自らのみを指す
自らのみを刺し貫く
自らにとっての言語とは何か?という
探求、言語との戦いにも感じます。
ウィトゲンシュタインが、
自らの言語の限界が、自分の世界の限界だ、
って言われたみたいですが、
確かに、言葉、言語って追求、探求するに
値しますよね。
苦闘、苦悶も感じる詩表現ですが、
宇宙的な広大な感覚にもなります。
- 田中宏輔 
- ヒロセマコト 
- atsuchan69 
 
作者より:
森田拓也さん、

私と云う言葉、
例えば、僕ひだかたけしならひだかたけし自身にしか通用しない、
森田さんにとってはひだかは飽くまでもあなた なわけで(逆も真)、

そういう正に〈孤独な聖域〉なわけですよね。

そしてウィトゲンシュタインなどは、この聖域を認識の限界不可知としたわけで、そりゃオカシイ!てのが僕の立場なんですよ。

詩的直観思考能力を更に高めていけば、その不可知無意識とされた領域は自らにとって意識化され得る、されなければならないだろうと。
(何故なら、自分と云う他者をキチンと自立意識化してこそ、真の愛が在り得るのだからと)。

そして詩表現においては、それが表す(現す)ことが可能だろうと、其処に僕はこの残余の生を賭けて居るわけです。

もちろん、それには、
自らの意識を外的感覚意識・受動態度から鍛え直し引き離し、
それ自身で自立させること能動的意識とすること が、大前提なわけですが、、、

と、取り敢えず。√ゝ

ありがとうございます♪

---2024/10/22 21:41追記--


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