作者より:
森田拓也さん、
私と云う言葉、
例えば、僕ひだかたけしならひだかたけし自身にしか通用しない、
森田さんにとってはひだかは飽くまでもあなた なわけで(逆も真)、
そういう正に〈孤独な聖域〉なわけですよね。
そしてウィトゲンシュタインなどは、この聖域を認識の限界不可知としたわけで、そりゃオカシイ!てのが僕の立場なんですよ。
詩的直観思考能力を更に高めていけば、その不可知無意識とされた領域は自らにとって意識化され得る、されなければならないだろうと。
(何故なら、自分と云う他者をキチンと自立意識化してこそ、真の愛が在り得るのだからと)。
そして詩表現においては、それが表す(現す)ことが可能だろうと、其処に僕はこの残余の生を賭けて居るわけです。
もちろん、それには、
自らの意識を外的感覚意識・受動態度から鍛え直し引き離し、
それ自身で自立させること能動的意識とすること が、大前提なわけですが、、、
と、取り敢えず。√ゝ
ありがとうございます♪
---2024/10/22 21:41追記--