※五行歌 三首「そもそも戦わないよ」/こしごえ
 
以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- atsuchan69 
- レタス 
- 涙(ルイ) 
戦わない戦い方って奴でしょうか

でも、ちゃんと戦ったあとじゃないと
本当の和解はできない気がしますが(^_^;)
---2024/06/29 21:01追記---

ここ数日、サイトに入ろうとするとエラーになっていたので

私も言葉足らずだったかもしれません
和解と云ったことが誤解を招いてしまったのかも

たしかに、そもそも仲がよければ戦う必要などありません
私が云いたかったのは
不毛な戦い、要するに相手に何の非もないのに
勝手に仕掛ける、というか
そういったことではなくて

たとえば、自分の親に散々ひどい目にあっていて
大人になってからも、ありとあらゆる方法で
自分の意のままに子どもを支配しようとしている
そういった状況の中で、子どもが親の呪縛から解放されるためには
どうしたって戦わなきゃいけない時っていうのがあるんです
傷つけられたことは傷つけられたと云わないと
辛かったんだって、悲しかったんだって
もうこれ以上、支配されたくないんだって
ちゃんと意思表示をしなきゃいけないときがくる
そういう戦いのことで
もちろん、子どもからいきなりそんな態度を取られたら
全力で否定、罵詈雑言の限りを云ってくるでしょうが
それに怯まない心を持つこと
ちゃんと戦うと云ったのは、そういったことだったんです

戦う必要がない
戦うなんて無意味なことと思えるなら
きっと、違う解決方法をご存じなのかもしれないですね
相手にしなきゃいい、と思っているのかもしれません
それも一考ですよね

ただ、たとえば自分の大切な人がひどい目にあった時
誰だって許せない気持ちになるはずで
もしも、それでも戦いなんて無意味だと云えるのだとしたら
話し合えば解かり合えるなんて
そんなの、ないですよ

と、私は思ったのです

なんだか、私のコメントで不快な気分にさせてしまっていたら
申し訳なかったです

ただ、私の言葉の真意だけでも
お伝えしておこうと思いまして

たしかに、戦わないで平和に仲良くできたら
それが一番いいですよね

長文、失礼しました
誤解しないでいただきたいのは
決して、この句にいちゃもんをつけたかったわけじゃない
ということです

- ヒロセマコト 
 
作者より:
atsuchan69さん ありがとうさま
レタスさん ありがとうさま



涙(ルイ)さん ありがとうさま
>戦わない戦い方って奴でしょうか

>でも、ちゃんと戦ったあとじゃないと
>本当の和解はできない気がしますが(^_^;)

涙(ルイ)さん、ご感想までも、ありがとうございます♪☆^^

>戦わない戦い方って奴でしょうか

戦わない戦い方、って、そういえばそういう侍がいたよなぁ、と思ってAIに調べてもらったら、やはり「無手勝流(むてかつりゅう)」の塚原卜伝(つかはら ぼくでん)という人の方法でした。

あと、
>でも、ちゃんと戦ったあとじゃないと
>本当の和解はできない気がしますが(^_^;)

それは、涙さんのおっしゃる通りですね。
でもね、そもそも、戦う必要があって、戦う状況になる。それは、どうしようもないことですね。
そもそも、和解、というのは、戦いが無ければ、和解する必要は無い。最初から仲が良ければ、和解以前の問題だ。

五行歌は、五行で書き表すという性質上、必要最低限の言葉で表します。その点、読者を信頼して(逆を言えば、読者に甘えて)、少なくとも私は書いている。
しかし、涙さんが、私の意図するところとは異なることを感じたりしたことは、私の筆力などが不十分だったと 推測されます。その点は、申し訳ありませんでした。

戦いは、この五行歌でも言っている通り、不毛ですね。負けても、勝っても、お互いに傷つくんですからね。
でも、戦いたい人は戦えばいいんじゃね?とも思う。ただ、その戦いたい人の周りの人は、迷惑を受けるよね。
きちんと戦えばいいっていうけど、その戦いの犠牲は、その規模などの大小にかかわらず、ひどいものだと思います。

戦いや争いは、クソ未満だ。それが分からない人が、争ったり戦う。と、言っている私もクソ未満ですけどね。
詩人の 谷川俊太郎さんは、最近出した絵本『生きてるってどういうこと?』(ことば 谷川俊太郎 絵 宮内ヨシオ 光文社)の あとがきみたいなところで言ってますよ。「いくら未来になっても戦争は終わらないだろうという感じを持っていますね。」と。
私もそう思う。それは、何万年もの歴史が証明している。

「本当に」かしこい人ならば、そもそも、戦ったり争ったりはしない、と思うんですが、ね。
バカなヒトが、戦ったりして、相手を傷つけてしまう。傷つける人は悪だ。傷つけた人も、自分自身を悪におとしめて、自分のことを傷つけていることに気付いてほしいよね。
でも、何かを まもる ために戦う、人も居ますね。それが、基本的で主な(?)、戦いの理由でしょうけど。
でも、それで得た平穏に、「本当の」 価値があるとは思えないかなあ?私は。^^; それは、血や傷などで汚れた平和だ。

まあ、ここで、涙さんに、私が つっかかっても仕方ないし、それこそ失礼になるかもね。ごめんなさいね。
まあ、何事も、一概には言えませんよね。んー、難しい問題ですね。それに、こういう問題には、キリが無いでしょう。

でも、これらのことを言えた キッカケを
涙さんがくださったことにも、感謝します。
涙さん、ありがとうございます♪☆^^

---2024/06/30 08:56追記---以下、涙(ルイ)さんの追記。
>---2024/06/29 21:01追記---
>ここ数日、サイトに入ろうとするとエラーになっていたので

>私も言葉足らずだったかもしれません
>和解と云ったことが誤解を招いてしまったのかも

>たしかに、そもそも仲がよければ戦う必要などありません
>私が云いたかったのは
>不毛な戦い、要するに相手に何の非もないのに
>勝手に仕掛ける、というか
>そういったことではなくて

>たとえば、自分の親に散々ひどい目にあっていて
>大人になってからも、ありとあらゆる方法で
>自分の意のままに子どもを支配しようとしている
>そういった状況の中で、子どもが親の呪縛から解放されるためには
>どうしたって戦わなきゃいけない時っていうのがあるんです
>傷つけられたことは傷つけられたと云わないと
>辛かったんだって、悲しかったんだって
>もうこれ以上、支配されたくないんだって
>ちゃんと意思表示をしなきゃいけないときがくる
>そういう戦いのことで
>もちろん、子どもからいきなりそんな態度を取られたら
>全力で否定、罵詈雑言の限りを云ってくるでしょうが
>それに怯まない心を持つこと
>ちゃんと戦うと云ったのは、そういったことだったんです

>戦う必要がない
>戦うなんて無意味なことと思えるなら
>きっと、違う解決方法をご存じなのかもしれないですね
>相手にしなきゃいい、と思っているのかもしれません
>それも一考ですよね

>ただ、たとえば自分の大切な人がひどい目にあった時
>誰だって許せない気持ちになるはずで
>もしも、それでも戦いなんて無意味だと云えるのだとしたら
>話し合えば解かり合えるなんて
>そんなの、ないですよ

>と、私は思ったのです

>なんだか、私のコメントで不快な気分にさせてしまっていたら
>申し訳なかったです

>ただ、私の言葉の真意だけでも
>お伝えしておこうと思いまして

>たしかに、戦わないで平和に仲良くできたら
>それが一番いいですよね

>長文、失礼しました
>誤解しないでいただきたいのは
>決して、この句にいちゃもんをつけたかったわけじゃない
>ということです

涙(ルイ)さん、んー、コメント追記をありがとうございます。^^
結論から言いますが、
もちろん、言うまでもなく、
涙さんが、私に いちゃもんを付けたとは、、、全く 思っては いません。
作品から、どのような ご感想を言ってもらえても、いいと思ってます。
(まあ、そりゃあ、ひどいことを言われれば、、、悲しかったりしますけどね)

涙さんは、誠実でまじめなお方なんだと思う。

これは、ずっと前から思っていることだし、時々言っていたけど、
「基本的には、」
読者あっての作品だと思っています。

その上で、言いますと。
涙さんの言うことは、ごもっともですね。
戦わなければ ならない時には、ちゃんと戦うということですね。うん、そうだ。^^


さて。
んー、私は、長文を理解するのは苦手です。
そして、連鎖的に以下の事も言います。
その上で言いますね。

前の私のコメントでも言ってある通り、何事も 一概には言えない、と私は言ってます。
あと、谷川俊太郎さんの言葉を借りて言ってますが、「争いは無くならない」ですね。
解決? 争いに解決なんて無いと思う。争った時点で、もう、争われたほうも 争ったほうも お互いに傷ついてる。不毛ですよ、争いや戦いは。

それでも、戦ったり争ったりする。そういう人は、そもそも かしこくない、と私は言ってるんですね。理由は何であれ。

もちろん、これも、前のコメントで私が言ってますが。
>でも、何かを まもる ために戦う、人も居ますね。それが、基本的で主な(?)、戦いの理由でしょうけど。

大切な誰かや自分を まもるために戦うというのは、ある意味、尊いと思います。
戦う   しか  無い状態も多々ありうる。それらの理由や事情などでは、戦うしかないですね。(まあ、この場合は、『受け身』で、モノを言ってますが。)

戦う、というのは、そういうと、「何万年も大昔から繰り返されてきた」 「自然」なことかも、、、しれませんね。

でもね、きれいごとを 言えば。また、先のコメントでも言ってますが。
>でも、それで得た平穏に、「本当の」 価値があるとは思えないかなあ?私は。^^; それは、血や傷などで汚れた平和だ。


戦いをしなければ  ならないということは、、、
人間・ヒト・人・人類の、、、現段階の 限界ですよね、これって。のっぴきならず、これって、、、悲しいばかりです。

でも、そうですねぇ。大切な存在や自分をまもるために戦う、、、というのは、尊い。その戦いで得た何かも、もしかしたら、尊いモノなのでしょう。それは、いのち(最も大切なもの。命ほどに大切に思うもの)ですね。
それなら、それで得たモノには、価値があるのかもしれないとも(も)思います。
(まあ、私が、そういうことも、決めることじゃないかもしれませんが。)

>話し合えば解かり合えるなんて
>そんなの、ないですよ

そうですねぇ、ある場合などではね。
北大路魯山人さんが、何かで言ってました。
「分からぬ奴には、何をどう言ったっても分からぬ。分かる奴は一言で分かる」と。
それを もじって私は言いますと、
「分かる人は、いずれ分かる。分からぬ人は、一生分からぬ」と。
まあ、涙さんは、きっと分かってくれると思って、私はこれらを書いてます。

私が言う「戦わない」というのは、、、ある次元(立場)では、、、気の持ちようであり、物は考えようである、、、ということ。
まぁこれも、、、きれいごとですがね。
私の場合は、「戦う・争う」んじゃないんです。
それに、他のみんなは、自分の作品を、普遍的な立場で書いているのか知りませんが、私の場合、、、元々、詩を書いていて、この詩は、抒情詩なんですよね。その延長線で 五行歌も抒情的に私は書いている。
つまり、私の作品は、私の立場を基準に物を言っている、、、ということです。
まあ、五行歌には、幾分、そういう「自分のことを言うという性質がある」と私は思ってます。

なので、その上で、言えば、、、私は、戦う必要性がない環境に『現在は』ある、、、ということなんです。
もちろん、先にも言っている通り、戦う必要があれば、私も戦っていたし、戦います。でも、『その戦いは、』不毛には違いがない、、、悲しいことです。

話を少し飛ばすと、、、
あるアニメで主人公が自分に言ってましたね。「逃げちゃだめだ!」と。(そのアニメの そのセリフの前後を覚えてないので、これも(も)、一概には言えませんが。逃げてはイケナイ場合も(も)ある、ということなのでしょう。)
そんなことはないと私は思う。逃げなければ、死ぬ場合は、逃げるべきだ。
そんなことは、ヒト以外の、動物のほうがよく知っている。死ぬような時には、逃げないと死んじゃう。
でもなぁ、逃げられない環境や事情 など が あると言われれば、どうしようもないですねぇ、こればっかしは。。。。;;

こうなると、もう、どうしようもない、というところに落ち着いちゃう  かも。
これも、先のコメントで言ってますが、(そもそも問題にしている時点で、問題ですが)こういう問題は難しいし、、、キリが無い。キリが無いですよ実際。。。。
なので、この辺で、こういった会話は、、、やめたいです。うん。
これは、私には難し  すぎる 問題だ。

まあ、でも、私自身の立場で言えば。
戦わない、、、ようにするには、、、また、生きるために、、、ある次元(立場)で言えば、
「何かを 諦める 」しか   ない   のかも  しれません。「放てば手に充(み)つる」です。この言葉を私は要約して、「放てば満ちる」としています。
もちろん、この「放てば満ちる」ということは、一つの選択肢や 一つの手段としてです。

以上のことが、
涙(ルイ)さんの 役に、少しでも立てば幸いかと思います。拝礼^^

涙さんが、
ここまで、読んでくれて、ありがたいです。
涙さん、ありがとうさま♪☆^^



---2024/06/30 08:56追記---
ヒロセマコトさん ありがとうさま

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