作者より:
リリーさん ありがとうさま
---2024/06/18 19:06追記---
>---2024/06/18 14:09追記---
>こしごえ様、ここにコメント出来なかったから……
>ポイントくださいました私の作品に、返信コメントで
>追加いたしました。m(_ _)m
>---2024/06/18 18:30追記---
>こしごえ様、返信をどうもありがとうございます!^ ^
>とても嬉しいです。感謝いたします。
ご承知の通り、
リリーさんの詩「くちなしの花」のコメント欄で返信しました。
リリーさん、こちらこそ、ありがとうございます♪☆^^
---2024/06/18 19:06追記---
田中宏輔さん ありがとうさま
レタスさん ありがとうさま
---2024/06/19 19:30追記---
ヒロセマコトさん ありがとうさま
ひだかたけしさん ありがとうさま
>私という自我という存在は絶対的に独り、独り
>
>孤独孤毒というモンスター奇跡的に難とか越え、僕は今そう想い至ってます。
>
>なので、こしごえさん此処で詩表現されているのは、孤独と孤立はまったく違うんだよ と云うことでは と。
ひだかさん、コメントまでありがとうさま。^^
そう、ある次元(立場)では、ひだかさんの言う通りですね。
まず、広辞苑で「孤独」と「孤立」を引いてみました。
「孤独」とは、①みなし子と老いて子なき者。②仲間のないこと。ひとりぼっち。
「孤立」とは、他とかけはなれて それだけであること。ただひとりで助けのないこと。
以上、広辞苑 最新 第7版より。
孤独、というのは、私も 極時々 思いますよ。
今回の五行歌でも言っているし、私の第五詩集『にこり』中の「ああ」という詩でも、同じことを言ってますが、
「あ」と言って、同じ性質や質感などで 相手に「あ」とは、絶対的に同じでは無い「あ」として、受け取られますよね。そういう意味において、他の存在には、自分の意思などは『全く同じには』伝わらないので、孤独である、とも(も)言えるのではないでしょうか。
あと、ひだかさんは、ご存知かと思いますが、埴谷雄高さんが言ってますよね。自同律の不快、って。
「私」は、どこまで行っても、どこの何でも「私」なんだ、という不快。
どこの何の存在も「私」なんですよね。その どこの何の存在も「私」ならば、それぞれ一つ一つが「私」なんだから、宇宙に「私」しか存在していないことになる。
という意味や次元(立場)において、「私」は絶対的に 独りである、ということを
ひだかさんは、言っているのでしょうね!? だとしたら、、、私も「その点は」同感です。
でもね、今回の、、、私のそれらの五行歌は、「孤独だけれど孤独ではない」と言っているんですね。
もちろん、立場などによって、孤独であったり、孤立していたり、孤独ではない場合が、さまざまにあるでしょうから、一概には言えませんね。
以下は、私個人の 想像です。
魂の次元(立場)で言えば、宇宙にも魂がある、、、と私は思うんです。
そして、全ての存在のそれぞれの 魂は、この宇宙の魂とつながっている。
そう思うと、『本当の』意味においての 孤独は無いんじゃないかな? とね。
まあ、これは、今の今、そう思ったことです。もちろん、これは、私の想像の 域を 出ない ことです。
ふふ。まあ、真実・事実はどうあれ、私自身は、自分でおもしろく自由に 思い想像してるだけです。
なので、
ひだかさんが、以上を読んでくれて、どう感じ思ったりするかは、もちろん、自由ですね。うん。^^
ひだかさん、以上を読んでくれて、ありがと♪☆^^ 拝礼
---2024/06/20 13:17追記---あ、ひだかさんへ、追記。
あ、でも、宇宙も孤独なのかも。でも、多次元宇宙という説もある。でも、永遠に連なる宇宙も、永遠の孤独なのかも。ふしぎだ。
こんなこと考えていくと、頭が持ちません、おかしくなるね。考え『すぎる』のは、止(や)めといた方がいいですね。うん。^^
atsuchan69さん ありがとうさま