作者より:
ひだかさん
その友愛フィリアなんちゃらというものが分からん!笑
たけちゃん
おお( ; ; )
ほしかったおことば
ありがとうございます。
たけちゃんへ
追記
たけちゃんのコメントはめっちゃ刺さりました。
けど詩として「誤りだよ」と否定されることはちょっと違うよと思った。
愛とはサンマ。海を泳いで君の腹に入る
とかが「違うよ」って言われると、詩を書く楽しみがなくなってしまう。詩って正誤を問うものではなくて自由な心のダンスだから。
特に今回はある他者への手紙を想定して書いたので、自分の中ではたいせつなものだったの。けどさ、たけちゃんに批評いただいて、「もっと推敲したい!」と思えたので、やっぱり表裏一体なんだけどね。(*^_^*)
とにかく、たくさん収穫を得る機会をくれてありがとうありがとう。(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)
お読みくださった皆さま、ありがとうございました。
---2023/12/10 22:36追記---
森田さん
今日、福岡正信の「わら一本の革命」を見ていたら、こんな一節に出会いました。
P174
……大人の目に映る二相の愛と憎しみは、元来別個の二つのものではない。一枚の紙を表と裏からみたに過ぎない。愛は憎しみによって裏付けされ、愛を裏返せば憎しみになる。虚偽の愛と憎しみである。
笑いと怒りは愛憎を超えた所にある二相であり、この二相はもはや根源の無相=無双といえる。即ち如来の笑いと不動明王の怒りであり、真の愛と憎しみである」
「現象界の二相に迷わず、絶対界の無相にとってせよということか……」
「人間は自他を分別する。自己を愛する如く、汝の敵を愛せよと言ったキリストの言葉も、自他を区別しての自己であり、他人であるかぎり、人間の愛憎は救えない。邪悪の自己を愛する心が、憎しみの敵をつくっているのである。自己を愛する前に、先ず人間の分別による知恵を憎み、自己を斬ることが先決である。
キリストの言葉は、裏がえせば、汝の敵を憎むごとく、汝自身を憎めである。人間にとって最初の最大の敵は己自身である。
人間は二つの道しか選べない。右へ行くか、左へ行くか、攻めるか、守るか、そして攻守の責任を問うて争う。拍手して右手が鳴ったか、左手が鳴ったかを論ずるわけである。どちらが早いか遅いかもない。良いも悪いもない。同時発生の同一悪である。
引用終わり
自然農法を哲学と位置づけて語られています。
心に刺さりました(*″-″*)
---2023/12/11 12:53追記---
---2023/12/11 13:00追記---
追記
この詩は、20年程、そばで見守ってくれた人にあてたものでした。その人が私に見返りを求めたとするならば、それは、私の幸せでした。それは「愛のための愛」だったのかもしれません。
貴重な気付きを与えて下さったこの場に感謝します。
コメントを下さった皆さま、ありがとうございました。
m (※_ _)m