作者より:
おぼろんさん、
うーん、中原中也、かぁ
や、全く意識してなかなったです、
むしろランボーかな、意識してるとしたら
中也はあくまで日常に徹し日常に潜む謎を表現した人だと思う。
僕は、日常と日常を溢れ越えていく意志、意識みたいなものを、どう繋ぎ真ん中で表現していくか、
それが今の詩想するところだと考えます。
おぼろんさんが中原中也を想起するのはどこら辺なんだろう?
もう少し具体的に批評して貰えますか?
---2022/11/08 10:20追記---
そうですか、表現世界観において、ということですね、
解りました。
ありがとうございます。ゝ