以下の方がこの文書を「良い」と認めました。
- - st
- - 山犬切
- いま眼の前にある具体的な事例に対する心情としては全面的に同感しますが、金太郎飴みたいな詩→イコール価値なし、
では必ずしもないとも思います。
たとえば僕が好きな谷川雁なんかは明らかに金太郎飴の詩人で、少数しかない詩作品のうちどの連を見ても
同じ調子、同じしらべで言葉が紡がれてるんですよね。でも傑作だと思います。
あとは僕はそうは思わなかったし気づかなかったんですけど、最近吉本と鮎川信夫の対談を読んでいたら、
西脇順三郎の詩も金太郎飴だというふうに(どこで切っても同じだと)言われてました。
詳細には清岡卓行が「西脇順三郎の詩はどこで切っても同じだ。書こうと思えば無限にでも書ける」と
言っていたのを引き合いに出してたんですけど。
(文学的に評価できる)自分固有の調子を会得しているのなら、どこで切っても同じ、というのは
〇〇節とか言われてるのと同じ意味でありプラスにも捉えられるかもしれないですね。
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